手ぶらってなに
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
最近リピートしてよく聴いている曲の中に、こんな歌詞がある。
当然手ぶらじゃ世の中は渡れない
UNISON SQUARE GARDEN フィクションフリーククライシス 歌詞 - 歌ネット
ここについて、ずっと考えている。
どういうことだ。
じゃあ私は世の中を渡っていないのか、もしくは、手ぶらではなく何かをいつのまにか抱えていたのか。
私は、『世の中を渡る』という意味で、手ぶらなのか、手ぶらじゃないのか。
なんとか会社員としての端っこの部分には、しがみついている。なにか起きたら真っ先に振り落とされてしまうかもしれない。
両手はしがみつくのに使っているので、とてもなにかを持てるほど余裕はない。しがみつかなくても、悠々と会社員をやっている人たちは何かを持っているに違いないと思う。
会社員としての才能なのか、それともそれ以外のなにかなのか。
誰もが何者かになれるわけではないのに、世の中を渡るだけでも、当然のように何かを抱えていないといけないのか。
じゃあ、世の中を渡れてはいないのだろうか。
渡れていると思っていたものが、すべて幻想と思い込みなのか。
実は浮きに浮きまくっているのか。
どこに行っても、一時は溺れかけてしまう。
苦しくて酸素を求めて足掻いてみても、本当は自分の両手が掴んでいたのは自分の首だったりする。
振り落とされないように、と掴んでいたのはそれだったりしたら。
暗い気持ちではなく、パズルを並べて組み立てようとする度に、矛盾に気付いて、また全部壊すような、そういう作業思考なのだ。
ネガティブな思考は、良くはない。
しかし、繰り返しいつも考えていないと、もっと不安になるのだ。
ポジティブな思考はひとつずつ、一話完結していく。ずっと考えられないのだ。
思考の不完全燃焼となり、そこから結局また、不安が沸き立つ。
ネガティブが染み付きすぎて、もう隣人なのだ。
思考のループは性質的に『暗い』が、これは作業なのだ。ひとつひとつ燃やして、また拾って燃やして、火を絶やさない。
火が消えると、日にちを決めて、真っ直ぐに終わらせようとしていた。
この経験があるから、ネガティブでもいいじゃない、というポジティブがあるのだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。