宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

正月という号令

御無沙汰しております。

あけましておめでとうございます。

flyingsapceshipです。宜しくお願い致します。

 

冒頭の決まり文句に愛が無くなってきたのでやめようと思う。

 

さて、私の実家ではクリスマスを徹底的に無視すると以前書いたが、私は一人暮らしを始めてから、正月を無視している気がする。

決してそうしたいという強い思いがあるわけではないが、色々な面倒事を避けて、世の中の隅の方でいじけて暮らしていると自然とそういう方向になっただけなのだ。

 

・私の職種上の都合もあるが、まず実家に帰らない。

・人混みが苦手な体質のため、当然初詣はメジャーな場所には行かない、もしくは時期をずらしてやっている。初詣をするには、する。

・アレルギーの関係上、餅をあまり食べない。好きではあるので、コンビニスイーツのおしるこ程度は食べるが、正月のタイミングではもう売ってない。

・飾りモノなどは、廃棄になるだけなので嫌いなのと、職場で散々目にしているので家に持ち込みたくない。

・貧乏性と、実際に貧しい為、正月価格になった野菜や果物には手を出せないので、パンなど正月に影響の無いものを食べている。

 

それでも毎年正月はやってくる。季節感や風習の圧は強いが、私にとってはいつもの祝日ではある。

ただ、私のような仕事ではないひとや正月であることを殊更特別に感じているひともいて、『しょうがつだから』を免罪符に大なり小なり醜態を晒すひとも目につく。

先日は真昼間の往来で、とっくの昔に路上喫煙は禁止されている地域で、大手を振って路上喫煙をしている白髪交じりの男性を、それぞれ別の場所で数名見かけた。

それならば私も、『しょうがつだから』とそいつの喉に餅を数個詰め込んでもよかったのかもしれない。

しかし、何もしなかった。そんな私を、私は褒めてあげたい。

 

正月を意識的に無視しているつもりはないが、『年の数が1増える』『1月1日からまた始まる』ことによって、「なにかリセットされる」とか免罪符のように勘違いしている人間の存在を確認してしまうことがあると、気持ちよく参加すべき、とは思えない行事だ。

数人で酒を飲んで、多少楽しくなっている程度なら、わかる。また、多くの人間が初詣に行くのも、わかる。

 

いつだって憎しみを抱えて生きているのは損だ、と頭ではわかっているし、人によく言われる。

大きな号令のもとには大勢が動くため、バカの割合は変わらなくとも人数が増える。

大きな号令とともに楽しい部分だけ食べていればいいはずなのに、バカが目に付いてしまうことが大いなる損失だ。

頭ではわかっている、と答えるのは、本当にはわかっていないということだ。

 

きれいな言葉や、楽しそうな顔だけで生きるのは、私には難しい。

仕事ではできる。仕事でやっていることを、生活でもやりたいか?

今年も真面目な会社員として頑張ります。

 

今年も、愛しています。