すきな展開
こんにちは。
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おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
アニメはあまり観ていない漫画オタクだが、ちゃんと見たアニメで特に好きなのが『彼氏彼女の事情』だ。
もともと原作が好きだった。
その原作の味を活かして、演出と音楽で骨太になった姿のアニメだった。
最後はアレだったけど。
まぁ、監督が庵野監督だったこともあるだろう。
ただ、当時の私は『ヱヴァンゲリヲン』を一度も観たことのない状態で、『彼氏彼女の事情』のアニメから庵野作品を観たので監督やスタッフのことは知らなかった。その情報が無くても、「アニメでこんなに良い変わり方があるのか」と衝撃だったのは、やはり庵野監督の手腕なのだろうと思う。
『彼氏彼女の事情』は少女漫画にしては、泥臭いというのだろうか。学生時代の選民意識や優越感、競争心、嫉妬がなかなかはっきり描かれている。アニメではそれをややコミカルにも、薄暗くも演出されていた。
私はもともと、「プライドの高い人物が圧倒的な力を見て、負けて、努力する」展開が好きだ。
少年漫画とかにもよくありそうだ。
その、負けた時が惨めで、悲壮感があればあるほどいい。
『負けた』と感じるのは、それまで負けた側が自信をつけられるほど努力した証でもある。
私だったら「世の中そんな人ばっかりだからね〜私が無理しなくてもいいじゃーん」という、戦う意識はゼロなうえに、戦ったこともない癖に負け犬根性だけはしっかりある。
自分に無い輝きや熱を見るのが、楽しいのだろう。
最近は、すっかりぬるい日常系漫画ばかり読むことが増えたが、そういう場面が序盤にある物語も読んでいきたい。
アニメで見始めた『やがて君になる』の佐伯先輩には、負けを認めたシーンがあった。負けたとともに、憧憬が発生した上で、努力を惜しまずライバルを支えようとする姿はとても健気だ。
お嬢様らしい強さも好きだ。
佐伯先輩には今後も頑張って欲しい…。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。
覚えてないだけ。
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私がまだ10〜20代のころ、30歳くらいのバイト先の人や従兄弟たちは
「20代はあっという間だから!」
と口を揃えて言ってきた。
世間的にもよく見聞きするフレーズだ。
20代はあっという間だから、と、『無駄なことはするな』『やりたいことは全部やったほうがいい』『時間を大切にして』などなど、集めてみると不整合で支離滅裂ながら、とりあえず他人を追い立てて焦らせようとするワードを連ねる。
私は今31歳だ。
20歳になる直前に一人暮らしを始めた。数値的に成人して尚、両親を尊敬していないくせに、両親の財産のもとでのうのうと生きるのは恥ずかしいことだと思ったからだ。尊敬していたなら、のうのうと膝の上で甘えていても良いと思う。
私の20代は一人暮らしの20代だった。
どんなに思い返しても、10年はきっちり、ちゃんと『10年』だった。
誰にも平等に与えられる時間の単位で、1年の10倍。
31歳になっても、未だに10代20代の人に『あっという間』だなんて嘘は言えない。
私は10年の中で
友達がいなかったり、
友達がいたり、
大学を卒業し就職したり、
気が狂いかけたり、上司の金でラム肉を食べたり、別の上司に暴言を浴びせたり、
彼氏ができたりできなかったり、
10日間だけニートだったり、日雇い労働になったり、転職したり、アルバイトしたり、
行ったことがなかったところに行ったり、初めてライブの楽しさを知ったり、
友達が増えたり、
また転職して好きな仕事に就いた。
これらが『あっという間』だとは思わない。普通に、平等に与えられた時間の中で過ごした。
どうして『あっという間』という人の10年は、20代のそこだけ短いのだろう。
10歳から20歳までの10年は?
どうせ覚えてねーとか宣うだけだろ?
20代があっという間なら、きっとその人たちの30代も40代もその先も、きっとあっという間なのだ。
全部同じ10年だもの。
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くつ下用カイロ
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貼らないタイプのカイロがある。
貼るタイプが画期的な発明だったとも言えるため、「全時代的」「携帯カイロがある」などと、私は『不要』と思っていた。
そもそも私は、寒さに強い。
落ち着きがなく、常に動き回っているからか、無神経なのか、たぶんどちらかだ。
そのため、貼るカイロさえあまり使わない。
ただ、貼らないカイロを必要とする人の意見を聞いたら、納得できるものがあった。
指先を暖めるために欲しいのだ。
指先が寒さでかじかんでしまうと、細かな作業に支障が生じる。
ただ、仕事中だと、わざわざポケットから出したり、置いたりするのは煩わしいという難点もある。
私は今日も閃いたのだ。
くつ下用カイロを、ポケットの中に貼る。
ポケットの内側の、足側ではなく、外側の布に貼るのだ。
ポケット中に手を突っ込まずとも、外側をさっと触れば、『気をつけ』の姿勢で冷えた指先も暖をとれる。
しかも、くつ下用のカイロは通常のカイロと比較すると、やや温度が高くなるように出来ているらしいので、ポケットの上から触るくらいがちょうどいい。
しかし、これも2点、マイナス面があった。
・高温になるためか、小さいためか、普通のカイロより持続時間が短い
・うっかりポケットの内側の、足側に貼るとめちゃくちゃ熱くなる(太もも付近は皮膚が薄いので要注意)
マイナス面は、やってみないとわからないことだったので、新しい知見になった。
不都合や、「こうなったらいいのに」は、新しい閃きがあるから楽しい。
私は無神経なので気づかないことが多い。他の人が言ってくれてたりすると、とても助かるのだ。
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博愛主義
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自ら悟りを拓いてしまった。
土曜日まで、31歳というほどほどにいい加減いい歳の私は、『恋愛というカテゴリでしあわせになりたい』と思っていた。それは、女なら割と誰にでも当てはまる考えではないだろうか。
女はなんでも恋話にするのが好きだ。
しかし、土曜日に、たくさんの穏やかで幸せな顔の人たちを見て思った。
ウェディングプランで有名な、都内の某ホテルに行ったのだ。
そこには、花嫁、花婿、招待客、親族、さらには、近々予定しているウェディングプランの相談に来ている人たちなど、みんな希望と幸せに満ちた顔で、ゆったりと寛いでいた。
それを見て、flyingspaceshipはわかったのだ。
世の中の幸せ指数を保つために、今私が辛い思いして不幸な顔しなくてよくね?
わざわざ苦労して、なにかと不幸リスクの多い『恋愛のカテゴリ』で幸せになろうとしなくてもよくね?
気付いてしまったのだ。
こんなにたくさんの人が幸せそうにしているなら、それでよいのだ。
だってflyingspaceshipは、みんな平等にすきだ。
私が苦しむのがわかってることに足を突っ込んで、不幸そうな顔するのやめよう。
本当はもっとたくさん幸せな人がいるのに、そんな世の中で私だけが不貞腐れてしまうようなこと、もう、しなくてよいのだ。
みんなすきなのだから、わざわざ苦しんだり、辛くなったりする方向目指さなくてもよいのだ。
目覚めてしまった。
完全にやばいなにかにハマったみたいな文章だ。
やばいかもしれないが、私はみんながすきだ。それで幸せになってしまったのだ。
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お粥にラー油に梅干し
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20代の半分くらいを、ほぼ自炊することなく暮らしていた。
365日、仕事の日の2食はコンビニ、休みの日の1食は外食、というリズムは5年間あった。
その5年間、夜は家で自炊をしたくないがために、コンビニに寄る。
しかし、朝昼とコンビニのものを食べていると、夜の品揃えを見ても『食べたい』という意欲が湧かないのだ。
食べたいものが無いし、かといって、自炊もできない。
そして「食べない」という選択がベストになり、1日2食以下となる。
自炊ができない、というのは、ほとんどやったことがないため、自分が食べたいものが材料さえも思い浮かばないのだ。例え材料を思い浮かべても、調理の方法やどのくらい手間と時間がかかるかさえわからない。
というか、そこまで思考する体力もほとんど無かったような気もする。
朝も昼も、ほぼ機械的に口に食べ物を入れていた。
そのため、「安価」「低糖質」「ゴミが少ない」という条件だけで選び、30度を超える真夏日に熱々のおでんを食べ、上司に怪訝な顔をされることもあった。
しかし、先月あたりからおかゆを作り始めて、非常に健康的なような自炊が出来ている。
10月の良い日に、コシヒカリを1合頂いて、そのお米からおかゆを始めた。
スーパーでは300g程度の少量の生米の販売もあり、数種類試した。
スーパーで買う米はゆめぴりかをよく使っているが、やっぱりコシヒカリは米の甘さがあって美味しかった。
塩と白だしで味付けしているが、ゆめぴりかは白だし多めで、コシヒカリは塩も白だしも少量で同量で、味のバランスが良かった。
主に肉を茹でた茹で汁で作っている。鶏胸肉から出たスープは、疲労回復にいいらしい。
そのうち飽きるかもしれないが、飽きるまでは、桃屋の辛そうで辛くない少し辛いラー油と、梅干しでシンプルに食べていく。
卵はまだやってないので、卵もそのうちやりたいし、『魔女の宅急便』のミルク粥も気になっている。
また食べ物のブームはあるだろう。
私は気に入ると飽きるまでそればっかり食べるタイプなのだ。
20代でコンビニを網羅したから、たまたま今自炊をしているだけで、またコンビニだらけにもなるかもしれない。
先のことはわからないので、好きなものを快適に食べる。
食べ物は、有難いものなので。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。
幸せ充満空間
こんにちは。
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こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
いろんな知らない人が、一様に幸せな顔をして過ごしている場所に行った。
みんな、穏やかに笑顔で、ゆったりして、豊かな雰囲気だった。
私も幸せで、豊かな気持ちになった。
実際や日々のことがどうであろうと、もうよくない?と思った。
たまにこういう幸せの空間に立ち寄って、いろんな知らない人の、みんなの幸せな顔と雰囲気を感じて、自分もそれに倣えばいいじゃない。
こんなに、明日にも明後日にも、一年後にも、希望を持ってやってくる人、今日が特別な人、今日からが楽しみな人がたくさんいるんなら、いいんじゃない?
私が日々で敢えて厭なことや、やりたくないことに頑張らなくていいんじゃない?
だって世の中には、ちゃんと幸せになれる人もいて、幸せに充満した空間があるんだよ?
世の中は殺伐とはしていない。
ちゃんと幸せな場所がある。
たまにその幸せのミストみたいなものを浴びに行って、いっしょに豊かさを眺めてくれば、それでいいんじゃない?
もういいんじゃない?
努力するのはいいことだけど、幸せになりたいって言って、嫌な気持ちになるとか、辛い気持ちになるってすごい矛盾してるし、非効率だなと思った。
また幸せのミストを浴びに行こう。
そのために、嫌な気持ちにならずに、まじめに生きていればそれでいいやと思った。
攻撃力が15下がった気持ちだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。
餃子について
こんにちは。
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こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
何度も書いているが、実家の台所は出入り禁止であった。10歳くらいでピーラーで、自分の親指の爪を剥いたからだ。
そのため、食事の手伝いというものをほとんどしたことがない。
ただ、ホットプレートを使った食事が出る日はよく手伝った。
実家には大きめのホットプレートがあった。
母が結構気に入っていたらしく、壊れても新しいものに買い換えていた。
ホットケーキやお好み焼き、焼きそばあたりはよく作っていて、その材料を混ぜたり、焼きながら混ぜる作業はしていた。刃物は持たされなかった。
ホットケーキは、私ひとりでも時々作っていた。
餃子の日は、具の材料を刻むのは母、具を混ぜるのは姉、皮で包んでホットプレートに並べて焼くのは私だった。
ただ、絵を描くこと以外はほとんどが不器用な私は、具を混ぜ終わった姉に口うるさく「汚い」「雑」「へたくそ」などと言われて嫌気がさし、適当にやっていた。
なぜ、餃子の皮を閉じるのに折り目をつけなければいけないのか。
なぜ、目分量で同じ量が測れるものなのか。
姉は折り目の幅や数にも目ざとく口を出してくる。
胃に入れば全部同じじゃないか。
いつもどおり、水っぽい、歯ごたえもなく、焼き目も付いていない、いつもどおり、なんの工夫もオリジナリティも感じない、母の料理の味だ。
そのため、餃子の日はあまりいい気分ではなかった。
最終的に大したものでもないのに、手間を与えられ、その上姉に叱られ、CMで見るような餃子にはならない。
母が手間を惜しんで大皿のなにかを作れば良い、と思ってのことだろうと、私は今でも思っている。子供がある程度育っているから、子供を手数として使える食べ物を作っておけばよいという算段だろう。
家で食べる餃子なんて、水で膨らんだ小麦とミンチ肉と刻まれたキャベツだ。
少し前まで、餃子にまったく魅力を感じていなかった。
私が自炊をするようになったのは11年の一人暮らし生活のうち、最近の4年程度だが、あるとき、なんとなく、冷凍食品の、味の素の餃子を買った。
『水も油も要らない、ハネはパリパリ』という謳い文句は、私は信用していなかった。
「嘘つけ、どうせ私がやったら悲惨なことになるさ」と充分に捻くれてもいた。
捻くれていたが、なんとなく、本当なのか確かめたい気持ちのほうが大きくなった時があったのだろう。
たぶん、心に余裕があったのだ。
ラー油も酢も無いくせに、冷凍餃子だけ、ほとんど使っていなかったテフロン加工のフライパンに並べた。
ただ焼きたかっただけかもしれない。
ご存知のとおり、簡単にCM通りの、ハネがパリパリに香ばしい、美味しい餃子ができた。
いつも一気に一袋焼いて食べている。
これで一食が埋まるのだから非常に経済的だ。
実家での餃子作りほど不経済で意味のない作業はなかった。
ついでに罵られるのだから、賽の河原どころではない。ブラック企業だ。
一人暮らしをしてから、実家の普通の夕飯には参加したことが無いが、万が一参加して餃子だと言われたら、近所のスーパーで味の素の餃子を3袋くらい買って来ようと思う。
これも家族思いの行動のひとつだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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