宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

さんまんえん

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3万円。すごいおかね。大金だ。

私にとってはそうだ。

しかし、結婚式のご祝儀ならどうだ、という話をTwitterの流れで見た。

【意外と歴史浅い】なぜ?結婚式のご祝儀3万円習慣は、合法的なカツアゲである。 | ベランダゴーヤ研究所

結婚式のご祝儀を、誰にいくら贈ったか、flyingspaceshipはひとつひとつ管理してはいない。友人やお世話になった方になら、おそらく3万円を基準に考えただろうから3万円を贈ったと思う。

いや、ただ一度、結婚式の2ヶ月後に後輩と不倫して会社を辞めた奴の結婚式には、3万円より少なく出した気もしなくはない。結末はそうなったにしろ、式は善いものだった。

 

この記事で言われていることもまぁわからなくはない。そういうふうに思う人もまぁいるでしょうね、と思う。

私も3万円は大金である認識だからだ。

しかし、私はそこまで頻繁に結婚式に出席したわけではない。多い時で年に2回か、年に1回が続くという程度だった。

そのため、毎回の結婚式が新鮮で楽しかったし、どれもそれぞれ目出度く、善いものだった。みんな違ってみんなよかった。

楽しくってみんなニコニコしてて、ご飯は普段食べられるようなものじゃないし、知っている人の綺麗な姿も見られるし、非日常空間を充分に体験できるので、まぁお祝いの気持ちも含めての参加費としては、個人的には妥当だと納得して贈っている。

「世間の風潮に流されないぞ」という強い気概もないので、世間の風潮が3万円はダメ、となったらそれに沿うと思う。「ある程度の柔軟性と強調性を試されているのかもしれない」と勘ぐる人もいるだろう。なにがどうなっても、裏読みをしたがる人は絶えないだろう。

 

というか、そもそもお金や金額以前に、その人間関係に疑問を持たないのだろうか。

上記の記事の中にも

別に大して仲良くもない友達の結婚式の御祝儀3万円。

とあるが、『友達』とは大して仲良くない奴のことを言うのか?

 

私は『友達』とは仲良くしている人のことをそう呼ぶ。ましてや、結婚すると知らされ、結婚式に招待されるような距離にある友人が『大して仲良くない』ならなぜ連絡があるのか?

そもそもそう思うなら、出席しなければいいのではないか?

結婚式は欠席で減給されるものでも、罰金が徴収されるわけでもない。ご祝儀の値段についてはネットで愚痴れるのに、結婚式の欠席の返事は出せないというのか。ママに電話してもらえばいいのに。

 

というか、人間関係の作り方がおかしい。

友達は選べ。

これを悪く捉えるか、良く捉えるかは人それぞれだろう。だが、ご祝儀どうこう言うようになるなら、もう子供じゃないんだ。

私は友達を選んで、いい友達に恵まれている。全部、選んだ結果だ。大して仲良くない奴と、過剰なコミュニケーションやスキンシップをとらなければいけないことって、あるのだろうか?大学生じゃあるまいし。

 

私は今の周りの友人の結婚式が、毎月とかにならなければ、なるべくお祝いの気持ちを持って準備と参加をさせて頂きたいと思う。

友人のいい顔を見に行きたいからだ。

友人のいい顔は可愛いから。

 

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『憧れ』は絶対やらないこと

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私の見ているTwitter(世界)では、最近、声の配信が多い。

 

私が応援しているJOHNNYPARKのじょにらじ(youtubeにて)は以前からやっているものなのだが、

Twitterでもフォローしている何人かの方が、不定期にラジオをやっている。

 

ラジオに親しんだのは中学生の頃だ。姉に勧められてお風呂でラジオを聴くようになった。

中学2年生くらいでポータブルMDプレーヤーを買ってもらったので、通学中や勉強中、常に音楽を聴いていた。それを見て、姉も私が特別音楽が好きなのかと思い、ラジオを勧めたのかもしれない。

しかし、今でもそうだが、音楽に特に強い拘りがない。ほぼ毎日音楽を聴いて移動しながら、30歳までなんのファンでもないままだった。

ラジオの話を同級生とする機会があった時、「話が面白い」とか「リクエストしたい」などの話題が出たのには驚いた。

完全にBGMとしてしか聴いておらず、人の話はほとんど聴いてなかった。私にスピードラーニングは向いていないだろう。

 

しかし、何人かの方のラジオや配信の声を、今聴いてみるとみんな面白い。もちろん全部は聴けていないが、ふだん交流していない人の話し声をじっくり聴いてみる、というのは不思議な気持ちになる。興味があるのか無いのかわからない関係性だな、と思う。たぶん私は充分興味があるのだと思うが。

 

思ったより低い声だな、とか、文章から想像した話し方とは違うな、とか色んな感想はある。それは全部、自分の先入観であることもわかる。こんなに先入観を持って、Twitter状のこの人を見ていたのかと、話し声だけでもいくらでも挙げられる。

 

私も声の配信には憧れはある。ただ、絶対にやらないと思う。やらないからこそ、憧れになるのかもしれない。

 

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良いこと待ち

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良いことが起こるときってどんな時だろう。

突然起こることもあるし、グラデーションのように環境が整っていて段階を踏んで起こることもある。

 

突然の出来事に弱い私は、即座にそれを良いことだとわからないことの方が多い。

突然の出来事は、その瞬間の私にとって『どう対応していいかわからない面倒事』、イレギュラーのタスクである。

段階を追って起こる良いことは、そうなって然るべき行動や準備を私がしてきている。だからこそ、結果、やっぱり良いことだと認識できていない気もする。

 

なんて哀れなんだ。

きっと今まさに良いことが起きてるかもしれないのに、私の脳が感知できていないだけかもしれない。

悪いことがなければ、もしかしたら、大体の時間の流れに良いことがあるのかもしれない。

泥の中で眠っているあいだにも、時間の中に良いことが混ざっているかもしれない。

 

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やがて君じゃなくなる

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森博嗣のエッセィ(森博嗣的単語)を読んだ。

 

 

森博嗣ほど、文から『天才』を表せる人を、私は他に知らない。

実際とても聡明な方だと思う。なんてったって面白い文章を書く作家なのだから。

しかし、まぁ、エッセィともなると、なんというか、身近なテーマで書いてくださっているために、まぁその、『天才』が洟につく。

俗らしくSNS的に言ってやると『匂わせ天才』だ。

ここまで、自分は特別な存在である目線、周囲の人間の思考の、自分と比較して、及ばなさばかりをあげつらって、それを日常として切り取っているのだから、まぁ苦笑いしながら読んでいる。それがまた面白い目線なのだが。

しかし、これがTwitterであったら、とんでもない老害でしかない。逆に、金銭が発生する人で無ければこういった文章の書き方はしてはいけないな、とも思う。

森博嗣の目線からの周囲の人々は、『なぜこんな事も考えが及ばないのか』と疑問を持つ対象として映っている。

 

さて、私の目線から、私の周囲の人々はどう映っているのか、考えてみた。

私の周囲の人々は、『ずいぶん優しい』と思って見ている。

 

私は好きじゃないものには関心が無いし、自由である事を自分の生きる世界の価値と見ている節がある。そのせいで、特にTwitterは、悪口雑言の限りを尽くす時もあるし、自分の好きな事やものについてはただ垂れ流していることもある。

 

しかし、近しい友人たちの一部に話を聞いてみたり、考えを聞いてみたりすると、ハッとするほど世界や世間に優しいのだ。

例えば、私の言葉も、時に、「その表現では可愛くないぞ」とか「もっと、聞いた人に、君が優しく見えるようにしたほうがいいよ」とかアドバイスをしてくれる。私が友人の紹介とか合コンとかのきっかけで恋愛に参加できないのは、こういう面が原因だろう。どこに出しても刃物が生えた鉄球のような発言をする恥ずかしい奴だと見られている。

しかし、そう言ったアドバイスをするということは、彼ら彼女らは、自分の言葉や態度を他者を意識して変更等する必要があり、なるべくそれのほとんどが優しさであるように振る舞う努力をしているのだ。その他者を好きであっても好きじゃなくても、というか、嫌いでなければ、ほとんど全てそうだ。

 

好きじゃなくても、嫌いでなければ、世界や世間に優しいのだ。

私はたぶん、それに理解も思考も及ばない。

 

好きじゃなくても優しい、は、とても優しいが、私のように『好きだと確定したものにしか優しくしない』常識の中で生きている人間には、とても厳しい。

 

好きじゃなくても恋人になってみたり、結婚してみたりしている世間の方が一般的だという現実もある。

女は「好きじゃないんだけど」と言って結婚した方が幸せだとか言われることも多い。好きじゃなくても恋人であることを許す優しさが無いといけないのだ。

私はそういう優しさがある人たちの、恋人のいないところ、配偶者がいないところでの愚痴がとても恐ろしい。本気か本気じゃないかは、私からは測れないし、どっちであれ、そもそも気持ちの中で真実がどこにもない『信頼関係』という気味の悪さがある。

 

そういう優しさを持った人を、私みたいな常識の中で生きる人間が一方的に好きになってしまった時が、不幸だ。

好きじゃないのに恋人になったり、それが終わったりするが、人の優しさの真実について考え始めると訳がわからなくなる。最初から好かれていなかったのに、恋人であった間は私だけがそれを真実だと思い違っていた。それを終わった時にすべてを知る。その長い期間、私だけが愚図だったと知る。勘違いによって高まった自尊心は、勘違いを自覚することでボロボロになる。

 

ずいぶんと優しい世界だ。

ずいぶんと優しいので、私は優しさに真実を頼らないように気をつけている。砕ける自尊心を育てて、勝手に傷ついたりして、優しい人を加害者に仕立て上げないためにだ。

私も優しいから。

 

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とろとろの角煮

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最近、豚の角煮を作ることが多い。

シトシトに1時間ほど茹でて、甘辛い煮汁で30分くらいコトコト煮る。火をつけてから放っておく時間が長いので、時間がかかるといえばそうだ。放っておくといっても、様子は見ている。

 

時間はかかるが、私がやらなければいけないことが、

「肉とネギとしょうがを切る」

「調味料を計って入れる」

だけなのが良い。

 

しかも、豚の角煮は味付けに失敗が無い。甘辛い味は大体美味しくできる。

以前書いた通り、脂身はやはり多いが、じっくり煮込んでおくと結構脂が溶け出してくれていて、肉を食べる時重たく感じない。

 

レシピは『きのう何食べた?』14巻の角煮だ。

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

 

 

レシピ本より、この作品から料理をすることのほうが多い。

ありがたい。

 

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ぼくとマシューとflyingspaceship

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覚えているだろうか。

『Matthew's Best Hit TV』。

藤井隆が『マシュー南』という外国人(?)になりきって、エンタメトピックを紹介する深夜番組だ。ちなみにマシューの叔母役は平野レミだ。

毎週歌手や俳優、芸人などさまざまなゲストがやってきて宣伝をする。

その時のマシューの決まり文句がある。

 

「その歌は良い歌?悪い歌?」

「そのドラマは良いドラマ?悪いドラマ?」

「その映画は良い映画?悪い映画?」

 

最近、この問いを持つマシュー南と、私は会話している。

 

「その言葉は良い言葉?悪い言葉?」

「その考えは良い考え?悪い考え?」

「その行動は良い行動?悪い行動?」

 

私の頭の中に住むマシュー南は、私の一挙手一投足に絶えず話しかけてくる。

 

「良い!!!!!!!!」

「間違いなく良い!!!!!!!」

「たぶん」

 

そうやって折り合いを付けて、flyingsapceshipが出来るのだ。

『Matthew's Best Hit TV』は私が中学生~高校生のあいだに、断続的に放送されていた。思春期に見た深夜番組による影響は恐ろしいものだ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。