宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

絵と見返り

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

イラストレーターでも漫画家でもデザイナーでも、ましてやネット絵師でもLINEスタンプクリエイターでもないのに、絵を描くことについて何度も書くのは気が引けるが、今日も絵を描くことについて思うことを残しておく。

 

なぜなら私のネットの棲家、Twitterで以下を目にしたからだ。

 

 

 これはたまたま私のタイムラインに流れてきたもので、この人のことは知らない。おそらく、絵を「好きなことを仕事に」ということで仕事にしているか、環境や技術向上のために投資を続けている人のつぶやきだと推測した。

 

だから、『仕事』と『投資』から見ればコストパフォーマンスは悪いほうだと思った。

私は絵の仕事がどんなものかは知らないが、絵を描いている時間も自分は生きているのに、その時間に充てられる報酬は無いし、完成品にそれに充てられるほどの報酬が付くかどうかも曖昧だ。どのくらいの確率で発生するのか知らないが、リテイクもあるかもしれない。

投資については、投資したからといってそれに見合った画力や理想に近づくかは、結局自分の練習とセンスが大きい。他者の作品も大量に見ていなければ、自分の絵の欠点に気付かないまま、無駄な投資と努力で時間を食いつぶすだろうとも思う。作品に限らず、目に入るものすべて、自分の画力につながると思ってもいい。

 

ただ、『満足度』に関しては違うと思った。

『仕事』も『投資』もどちらもやっていないflyingsapceshipだから言えるのだが、私は絵に『満足度のコスパが悪い』とは思ったことがない。

私は『絵を描きたい』と思ったら、紙とペンさえあればすぐできる。描きたいと思った時に描いていれば、いくらでも描けてしまう。完成したものが納得がいかなければまた描けるし、完成したものに満足しても、次はもっとうまく描けるかもしれない。描くのが難しいと感じたものは、また次の機会はそれを描くことに集中できる。描きたいと思ったものが、紙の上におこされていれば、それで私の中の満足度は満たされているのだ。

 

確かに、今の世の中にはほかにいくらでも満たすものがある。私はそれぞれに合った満足度を味わえればいい。世の中の楽しいことは、そこで働いているひとが作っているのだから、満足だと感じるものがたくさんあったほうがいいに決まっている。

 

『野球もサッカーもやりたい』という気持ちと同じだろうか?私は両方やりたい。しかし、やるからには極めなければ、と思うレベルがどこなのかということだろう。

それぞれで楽しくできるのが一番たのしい。むしろ強欲なのかもしれない。

 

あと、「描かなくなって戻ってくる人がいない」という点も、私にはよくわからない感覚だ。

描かないと『決めたから』といって、描かないでいるものだろうか?

戻ってくる、とあるので発表する場に、という意味合いかもしれない。それは発表した場が悪いからそこに戻ってこないだけでは?と思う。

私も描かない日ももちろんあるし、描かない日のほうが多い時もあった。絶えず描けているわけではない。ただ仕事中以外なら、紙とペンが手元にあればなにか描いている。だから鞄の中に小さなノートとペンケースはいつも入れている。

いつだって描けるし、いつだって描かないでいられる。そういう自由さも私の満足度を満たす要因だろう。

 

本日も、愛しています。

 

お酒と衝動

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

私はお酒が苦手なほうだ。

 

まったく飲めないわけではないが、「低血圧」「アトピー」「胃腸が弱い」「ストレスに弱い」という、虚弱特徴を複数持っているため、3口くらいで酔いが回り始め、悪い時はすこぶる具合が悪くなり、良くて全身の皮膚が赤くなり痒くなる。

 

それ以上に食いしん坊なので、美味しいお酒は味見だけでもしてみたいし、酔いに気を付けながらゆっくり飲める環境では楽しんでいる。

 

しかし、本当に『お酒』が好きな人は「自分が酔っている状態」を望んでいる様子もある。酔って、自分が正体不明かもしくは曖昧にしてしまって、日々の鬱憤を晴らすというひともいる。それがかけがえなく気持ちがいいのか、『お酒』が好きな人はその状態をたびたび繰り返す。

 

私は、その体験をしたことが無い。

 

たとえうまく酔いが回っても、すべてはっきり覚えているし、普段やらないことを人前ですることもない。多少話し方や話し言葉は雑になるだろうが、それは鬱憤を晴らすどころか、翌日思い返して少し憂鬱や心配につながるだけで、なんの快感も得られない。

それに、「普通やらないだろうこと」は酔ってなくてもある程度できてしまうのが私だ。それをやっても、それほど鬱憤は晴れないということも承知したうえでだ。

 

しかも、もっと悪いことに、私は酔ってうまくめちゃくちゃになった人の言動も全部覚えているのだ。私自身は「楽しい思い出」くらいに思っているのだが、お酒で鬱憤を晴らそうとしている人にとっては、飲まない上に記憶も意識もはっきりしている私は迷惑極まりない存在なのだ。

 

そうなると、私がお酒を飲む場面というのはどんどん減っていく。

よりいっそう、体調が良いまま酔いが回って、うまくめちゃくちゃになることに憧れる。

 

それで日々のストレスが解消されるのなら、けっこうコスパは良いはずだ。

 

酔ってうまくめちゃくちゃになってみたい。

そこで私はどんな私になるのだろう。

 

私はたまに、「普段の思考回路だと絶対しないことをしてみよう」と思って衝動的に動くことがある。あくまで他者を巻き込まないことだが、自分の思考回路が世の中のすべてではないし、そこで他者思考に近い選択肢で動いてみることで別の景色が見られるかもしれない、と思うのだ。本を読むのに近いかもしれない。

 

お酒によって私のコントロールから手放された私、というのはどんな人間なのだろうか。興味はある。

 

本日も、愛しています。

体重の話

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

2019年はいつもより体重が減った。

毎年、夏は体重が減るものだったが、去年は冬までじわじわと減り続けた。最終的に10の位が変わるのも見てしまったので、年末から年始にかけて意識して食べ物、特に炭水化物を食べるように気を付けた。

 

ただここ数日、それで胃腸が疲れたのか、仕事中の食事がクノールカップスープとパン1つ以上食べられなくなっている。

買えば食べるだろうと思ってパンかおかずをもう1つ追加で買うが、だいたい食べられず家に持って帰ってゆっくり時間をかけて食べている。

 

外食や友人との食事なら、一般的な量を食べられるが、大抵そのあとお腹を壊している。胃腸がうまく消化できていないのだ。私の大嫌いな絨毛(ビジュアルが無理)がまったく機能していない。

 

どうなっているのかわからない。

去年、病院で血液検査をしたら問題がなかったので、胃腸が原因の場合は胃カメラ等の画像検査が必要と言われた。胃カメラが怖いのでまだ胃腸系の病院にはかかっていない。

どうなっているのかはわからないが、おそらくこういう事が、「老化」と言うのだろう。

 

しかし、お腹を壊すのは疲れるから嫌だが、結構体重が減っても「思ったより健康」なのだ。

私は身長が低いので45kgを超えると、走った時に「なんか動きにくい」と感じる。今はパワーは無いかもしれないが、軽やかに動ける。なにかあった時に瞬時に最大速度で走れる(逃げられる)ことが大切だ。

 

私のような小さく弱く、覚悟の無い人間が生きる上で、必要なときに必要な力を最大値で出せる勢いは大事だ。ウシジマくんで言う『人の頭に向かって金属バットをフルスイングできる奴』だ。

 

覚悟は無いが、準備だけはしておきたい。

 

本日も、愛しています。

自分の声と話し方

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

小学6年生の時に、初めて自分の声と話し方を機械を通して聞いた。

まず思ったことは「頭悪そう」だった。声は思っていた以上に幼稚に感じたし、定型文を読んでいるはずなのに、テンポなのか抑揚なのかわからないが、知能が低そうな話し方に聞こえた。ただ、そこまで酷評しておきながら気にはしなかった。人には頭悪そうに思われてるだろうということが解って良かった、くらいに思っていた。

 

そう前向きになれたのは、声は変えようがないからだ。話し方に関しては、定型文を読んでいたこともあり、声が大きな原因だと思った。どちらにせよ、その時にすぐに直す方法があるとは思えなかったのだ。

それよりも、自分の顔のアトピーと天然パーマと低身長をどうにかしたかった、というのもある。

 

それから、特に私は私の声や話し方をコンプレックスにすることも、意識することもなく過ごした。機械を通して自分の声を聞くことはカラオケくらいで、録音して聞く場合とだいぶ質が違う。

私は私の声を、今はもうよく知らない。

 

話し方に関しては、就職したり、転職したなかで勉強したり訓練したので、仕事上ではもう確立されたパターンで話す。

 

ただ、ここ1年くらいになって急に、私の声や話し方で他者の意見を聞く機会が多くなった。

声は「よく通る」らしい。どう違うのか私はわからないが、「通る声」と「大きい声」は違うらしい。

 

話し方は「結論と理由に隙が無い」「道筋がはっきりしている」と言われる。ただ、それは「雑談の隙が無い」とも言えて、どちらかというと男性的な話し方らしい。

確かに、女性同士によくある、結論が見当たらない雑談に跳んだり、一言前の話題Aがまったく逸れたにも関わらず数分前の話題Bに戻る、という状況が私は非常に苦手だ。

今の職場では日常茶飯事だ。その渦中、私は頭がついていけなくなったと判断したら少し離脱してから、「話題Aは結果どうでしたっけ?」「話題Bはなにからしますか?」と確認だけする。

ただ、この確認作業も仕事の内容だからついていけるだけで、完全な雑談になると「ウワーッ」と言って逃げる。

 

こうして自分の声と話し方をまとめると、「よく通る声」で「隙が無く話す」のはなんだか威圧感がありそうだ。

だから頭の悪そうな幼稚な声くらいでちょうどいいのだろうか。

 

本日も、愛しています。

ちょっと様子が違うflyingsapceship

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おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

なんだかいつもと様子が違う。

 

新しい家具が欲しい。

 

12年ひとり暮らしをして、初めての感覚だ。

 

本棚は数年前に「必要で」足したが、今は、新しい椅子や新しいハンガーラック、あと傘立ては無いので欲しい。

しかも、適当に安いところで済ませてもいいとは思ってない。

 

ちょっとかっこいいやつが欲しい。

ちょっとかっこいいやつだ。

 

12年前からつい最近まで、本当に家の様子に興味がなかった。仕事から帰って風呂に入り眠れれば充分だと思っていた。だから、家で過ごす時間を減らしてスタバに行っていたのだ。

しかし、今にして家の環境を「良く」しようとしている。

家に遊びにくるのは今のところ同じマンションに住んでいる友人くらいのくせに、ちょっとかっこいい、「いんてりあ~」的なものを揃えたがっている。

 

収納用品でわりと有名なtowerというシリーズのことは「しゃらくせぇ奴が使うしゃらくせぇもの」と思っていたのに、傘立てはtowerシリーズのマグネットタイプのしゃらくせぇやつが一番欲しい。

www.yamajitsu.co.jp

 

椅子は、今使っているものは、傷アリ現品限りで安くなっていたもので、駅ビルの中に昔入っていたセレクトの家具屋でフラッと買った。なぜ買ったのかいまいち覚えていない。見た目はいまもかなり気に入っているが、合皮の座面に割れができてしまった。

もし、買い替えを決意したらLOWYAで「デスクチェア」の中から選びたい。椅子ではなくチェアと言うのか。

www.low-ya.com

 

LOWYAも「なにがお手頃価格だよこの偽インテリ野郎」と思っていた。

 

これまで家のものと言えば無印かKEYUCAが主だった。大きなものは無印がほとんどだ。保守的だし、とにかくモノを増やしたくない、それが収納できるモノであってもモノはモノだから最低限にしたい。

 

家を飾る、という意味がさっぱりわからなかった。まぁ、ただの飾り物には一切興味が無いのは変わらないが、家で「使えるものがなんかかっこいい」のを求め始めている。

家がちょっと片付いて、机が導入されただけでこんなに嗜好が変わるものだろうか。

 

また、なにか嫌なことから逃げようとしているのだろうか。

ちょっと自分でも理解できない変化がある時、たいてい私の場合、なにかめんどくさいこと、嫌なことから逃げるための無意識だったりする。

本当にだめな人間だな。

 

まだ完全に片付いたとは言えないので、欲しいものを買うかは慎重に検討したい。

とにかく、家が人間が住んでいる状態のまま、維持をしなければならない。

 

ipadも欲しいと思いつつ先延ばしにし続けている。今使っているノートPCも白くて気に入っているので、完全に死んでしまうまでは使うかもしれない。いまやバッテリーが死んで常に電源につないでいないと生きられない植物状態だが、なんとか働いてくれている。DVDやCDの再生機でもあるので頑張ってほしい。

ipadやPCはうちの家賃より高いか同じくらいなので、かなり先延ばしになるだろう。家賃が安いと買い物のハードルが高くなるのだ。

 

本日も、愛しています。

部屋を活かしたら仕事のやる気が減った

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

自宅が3年ぶりに片付き始めている。

12年も住んでる家なので、さすがに何度も定期的に片付いていた時期もあった。

長くその状態を維持するのが難しかった。

 

そもそも、仕事をしていて「早く家に帰りたい」と言う人のことが理解できなかった。

「はたらきたくない」は解るが、片付いていた時期でさえ、家は私にとってそこまで居心地の良い場所ではなかった。

しかし、今回の片付けでは大きく変わった。「家に居たい」と思っている。

 

そもそも家を散らかすとかわけがわからない、というタイプの人には私の自己管理能力の低さに軽蔑するかもしれない。

さすがに自分が寝起きする場所で生ごみを放置するとかはしていない。私はもともと家具や収納するための収納を増やすのも好きではない。それでも散らかっていたのは、自分の生活動線を把握していなかったからだと思う。

 

「ときめかないから」という理由では片付けられない私は、一冊だけ片付けの本は読んでいた。

 

部屋を活かせば人生が変わる 部屋を考える会 https://www.amazon.co.jp/dp/4906790054/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_OAkfEbA8TQ19S

 

これには「ぬいぐるみの目にテープ」とか「ありがとうと言って捨てる」とかいう、感情の無い私には決してできない話は書いていない。生活動線を把握しろ、ということを繰り返し書かれている。

この本自体は数年前に買っていて、たびたび読んでもいたのだが、「だからその自分の生活動線とやらがわからん」と、理屈は自分に合っているが実践できない、を続けていたのだ。

 

今回の片付けで、意を決して家具を増やした。

机と大きな鏡とデスクライトだ。

 

いままで座卓しか持っていなかった私だが、椅子に合う机を買った。

大きな鏡は化粧をする場所を机に固定するためだ。

机のある場所で食事もするし絵も描くし化粧もする、こうしてブログも書く。デスクライトも付けたことで、部屋の真ん中が空いた。布団を敷かなければかなり広いし、掃除も簡単になった。家具が全部壁に沿ってくっついたからだ。

私の生活動線は机に向かう時間を軸に考えればよかったのだ。

 

片付けも、始めた初日は友人に手伝ってもらい大がかりだったか、細々としたものは自分の動線を考えながら配置を変えて片付けている。ペースは遅いが、日々、どこをどう片付けようか、もっとこうしたら良いのではないか、を考えるのは楽しい。ペースは遅い。

 

今までは頭の中は仕事のことが9割以上を占めていて、自分の部屋は超低解像度でしか見えていなかった。12年のうち10年くらいはそんな感じだった。

ここ最近は仕事中にも、次はどこを片付けるか、なにを捨てるか、どう配置し直すか、今日はひとまず机に向かってなにをするか、自分の部屋のことばかり考えて、はやく家に帰りたいと思っている。

はやく帰りたいし、がんばってもそこそこしか改善されない仕事よりも、自分の部屋のほうが目に見える成果が出ている。目に見える結果を重視する即物的なタイプなので、簡単に仕事へのモチベーションは下がっている。

仕事は成果に関しては今、そこそこ、にしている。突っ込まれるような状況にならない程度には、気を付けよう。大丈夫、私は誠実な社会人であるのと、上司は私と違って過程を大事にする人なのだ。

 

起床時と帰宅時に掃除ができるようになったので、このまま続けられたらいいと思う。

 

椅子は気に入っているが、座面の合皮が割れてしまっているので、2020年中に買い替えるかもしれない。洗濯機も壊れる前に買い替えたい。どちらが先かはわからないが、楽しみだ。

 

本日も、愛しています。

歩く速度が速い

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipです。

 

私は歩くのが速い。

広い場所であれば、だいたい前に歩いている人を追い越す。

渋谷や新宿などの駅構内では、密集地域では群衆に合わせるが、そうじゃなければだいたい隙間を縫って歩いている。

密集地帯からいちはやく抜け出したい、という理由もある。身長が人並み以下のため、人並みの身長のひとたちに囲われていると、視界も悪ければ空気も悪い。

 

ただ、無意識に速くなったのは大学生以降だ。

何度も書いているが、私は大学時代、3年生の冬まで友達がいなかった。無駄に広いキャンパス内を誰かとつるむことも無い、その上マイナーな授業ばかり取っていたので、最悪の場合、無駄に広いキャンパスの端から端までを移動していた。

のんびり心穏やかに歩いていることなど皆無だった。常に殺気立った様子で余裕のない私は、その移動時間をいかに最短で済ませるかとしか考えてなかった。そんな3年強を過ごしていたので、そこで脚が訓練されてしまった可能性がある。

 

友人と歩いていても、うっかりすると私ひとりが先に進んでしまう。

好きな人といっしょに歩いていた時さえもうっかり地が出て、前をゆっくり歩いていた可愛らしい女の子の集団を抜き去ったことがある。たぶん引かれていた。

 

基本的に歩くことは好きでもある。

歩くことに集中しすぎてしまうのだ。

ひとつのことしかできないが、なにかしていないと落ち着かないので、電車などじっとしていても移動できる時間は本やスマホを見ている。

歩いている時はできることと言ったら、音楽を聴くか歌うか考え事くらいだ。

 

今年は軽いハイキングとか行きたいかもしれない。

 

本日も、愛しています。