矛盾した目線
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
flyingspaceshipは、いい歳して人見知りはするし、微妙にスイッチが入っていないと話すことさえできない時がある。
そのため、便宜上、『自称・コミュ障』としている。
コミュ障の一般的なイメージの中に、「人と目を合わせて話せない」、「人の顔を見ることができない」という点がある。
しかし、最近気付いたのだが、flyingsapceshipは人の顔を見るのは得意だ。話している時、しっかり黒目の動きを見ている。
このように書くと、今後私と話す人は嫌な気持ちになりそうだという心配がある。
安心してほしい。
実は、しっかりと見ているからといって、そこから何かを察知したり、読み取ったりしているわけではない。なにもわかってないし、空気もあまり読めない。読もうとはするが、たぶんトンチンカンだ。
見てるだけだ。
ただ、その『かたち』や『動き』を見てる。凝視だ。
見てはいるが、人見知りしていないわけではないし、相変わらず「あっ、そうですね」「あっ、はい」という、話す前の躓きも変わらないだろう。
その上、心の中では「これ以上嫌われないように気を付けよう」と勝手に思っている。
コミュニケーションに於いては問題が多少なりともあるが、人の顔はしっかり見ている。
もちろん、あまりに見つめ合う羽目になったら恥ずかしい。 話をしていれば、それなりに視線を外しながら、うまく観察ができる。
そう、観察だ。
クソバカサブカル女みたいに「人間観察が趣味」などと言いたくはないが、他人の顔を眺める悪癖がある。
こちらを見ていない相手ならなおさら、「顔」を見ている。
よくあるのが、flyingsapceshipはコンビニや本屋、カフェの店員の顔をかなり覚えている。
接客されると恥ずかしいので、ほとんどあさっての方向を見ているが、彼等がレジをしている間は実はじっと見ている。顔のつくりや輪郭をなぞっている。
また、通りすがりの人の顔を見ていることも多いため、「今の人が可愛かった」「あそこのカフェで座っている人が綺麗だった」など、同行している友人に報告する。
昔お付き合いしていた人にそれをやっていたら、「『女好き』ってこんな感じで女性の存在への察知能力が長けているのかなって思った」と言われた。別に『女好き』ではない。
コミュニケーションは難しいが、人間は嫌いではない。むしろ、造形でいえば好きだと思う。
好きな人だと、より無遠慮に見てしまいがちで時々注意を受ける。
注意を受けたら素直に気を付けて、顔を見ないようにしているが、好きな人間の造形は見ていたいのだ。そのため、仕方なく、指の関節や爪の形、手首の動きを見ている。
フェチの話がツイッタ―で流れてきたが、部位的なフェチは妥協でしかなく、好きな人は全身の輪郭から「フェチ」であり、「好き」なのだ。
こわいかい?
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。