母性があると死を想う
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
高校の同級生で、大人になってもちょくちょく遊んでいた2人が母になった。
なんだか不思議な気持ちだ。
さて、3人で遊んでいてそのうちの『2人が母』となると、多数決では「じゃ、じゃあ私も…」となる雰囲気だ。
友人「flyingspaceshipは子供好きなの?」
私「子供は可愛いよ。そういう造形をしているし、弱い生き物が生きていくには、可愛い、というのは重要だと思う。子供は可愛い」
そうなのだ。理論的にも、子供は可愛くできているし、私はどの子供も可愛く見える。
「子供の泣き声を聞くとイライラして仕方ない」「子供きらい」と言う人の気持ちの方がわからない。子供は論理的に可愛いのだから、むしろ非論理的だと思う。
ただ、自分が産むとなったら、決して『子供が可愛い』と『子供を産みたい』は直結しないと思う。
誰にも言われていないが、「可愛いと思うなら、産みたいと思うのではないか」というのはずいぶん暴力的な理論だ。
男性は?『子供可愛い』と思ったら、『産ませたい』『産んでほしい』、むしろ『産みたい』と思うのか?
子供を産みたい、というのは、イコール生と死の狭間に立たされる目に遭うことと引き換えだ。
そこで、死に至るのは自分がまだ見ぬ子供か、どちらかの場合も、両方の場合も、どちらも死を免れる場合も、どれも、確率でさえ確かではない。
こういうことをごちゃごちゃ考えているから、なにもかもを遠ざけているのかもしれない。
ただ、子供は可愛い。これだけは確定事項だ。
でも、触れ合った機会が少ないため、私はおどおどと遠巻きに眺めるタイプだ。通報されたくないし。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。