絵と見返り
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipです。
イラストレーターでも漫画家でもデザイナーでも、ましてやネット絵師でもLINEスタンプクリエイターでもないのに、絵を描くことについて何度も書くのは気が引けるが、今日も絵を描くことについて思うことを残しておく。
なぜなら私のネットの棲家、Twitterで以下を目にしたからだ。
「絵を描くこと以外に満足度の高い物が世の中にたくさんあることに気がついて、絵のコスパの悪さに気がついてしまったんですよ」って言ったら、「ああああ、、、、それ絵を描かなくなる典型的なパターンだよ〜、、、、」「そこからまた絵を描き始めた人、自分の周りには一人もいないですよ」ていわれた
— eikoh (@urasenke2nd) 2020年1月13日
これはたまたま私のタイムラインに流れてきたもので、この人のことは知らない。おそらく、絵を「好きなことを仕事に」ということで仕事にしているか、環境や技術向上のために投資を続けている人のつぶやきだと推測した。
だから、『仕事』と『投資』から見ればコストパフォーマンスは悪いほうだと思った。
私は絵の仕事がどんなものかは知らないが、絵を描いている時間も自分は生きているのに、その時間に充てられる報酬は無いし、完成品にそれに充てられるほどの報酬が付くかどうかも曖昧だ。どのくらいの確率で発生するのか知らないが、リテイクもあるかもしれない。
投資については、投資したからといってそれに見合った画力や理想に近づくかは、結局自分の練習とセンスが大きい。他者の作品も大量に見ていなければ、自分の絵の欠点に気付かないまま、無駄な投資と努力で時間を食いつぶすだろうとも思う。作品に限らず、目に入るものすべて、自分の画力につながると思ってもいい。
ただ、『満足度』に関しては違うと思った。
『仕事』も『投資』もどちらもやっていないflyingsapceshipだから言えるのだが、私は絵に『満足度のコスパが悪い』とは思ったことがない。
私は『絵を描きたい』と思ったら、紙とペンさえあればすぐできる。描きたいと思った時に描いていれば、いくらでも描けてしまう。完成したものが納得がいかなければまた描けるし、完成したものに満足しても、次はもっとうまく描けるかもしれない。描くのが難しいと感じたものは、また次の機会はそれを描くことに集中できる。描きたいと思ったものが、紙の上におこされていれば、それで私の中の満足度は満たされているのだ。
確かに、今の世の中にはほかにいくらでも満たすものがある。私はそれぞれに合った満足度を味わえればいい。世の中の楽しいことは、そこで働いているひとが作っているのだから、満足だと感じるものがたくさんあったほうがいいに決まっている。
『野球もサッカーもやりたい』という気持ちと同じだろうか?私は両方やりたい。しかし、やるからには極めなければ、と思うレベルがどこなのかということだろう。
それぞれで楽しくできるのが一番たのしい。むしろ強欲なのかもしれない。
あと、「描かなくなって戻ってくる人がいない」という点も、私にはよくわからない感覚だ。
描かないと『決めたから』といって、描かないでいるものだろうか?
戻ってくる、とあるので発表する場に、という意味合いかもしれない。それは発表した場が悪いからそこに戻ってこないだけでは?と思う。
私も描かない日ももちろんあるし、描かない日のほうが多い時もあった。絶えず描けているわけではない。ただ仕事中以外なら、紙とペンが手元にあればなにか描いている。だから鞄の中に小さなノートとペンケースはいつも入れている。
いつだって描けるし、いつだって描かないでいられる。そういう自由さも私の満足度を満たす要因だろう。
本日も、愛しています。