宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

なにかが特別

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私は、基本性格はとても暗い。

ネガティブな発想や妄想や呪詛がとても得意だ。

 

しかし、幸せなひとたちをたくさん見てから、とりあえずなんでもふざけて考えてみている。

 

主に通勤中に遭遇するクソみたいなオヤジを見ると、前は「クソが。○○」とナチュラルに口から出そうになるくらい呪詛が強かった。

最近はふざけて考えてみている。

「クソの役にも立たないオヤジなのに幸せそうだねっ☆ポジティブっ☆」

と思いっきり楽しく貶めてみている。

 

disるにも、自分の精神力を削る方法以外を見つけた。性格の悪い習慣だ。

 

しかしその成果か、結構、楽になってきた。

 

人間らしい悪い部分も、どうにかして消化させるにも、技術が必要だ。

大人になったのかもしれない。

 

誰でも、人に舌打ちしたい時もあるし、人に舌打ちされてしまう事もある。

そういう世の中だ。

自分の呪詛で自分の神経を削いでばかりだったが、散々鋭利に研ぎ澄ませた結果、特別な力を得たのかもしれない。

 

知らないうちに、呪詛を唱えていた日々も、今を得るための特別な毎日だったのかもしれない。

 

キラキラ〜〜〜☆〜(ゝ。∂)

 

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すきな展開

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アニメはあまり観ていない漫画オタクだが、ちゃんと見たアニメで特に好きなのが『彼氏彼女の事情』だ。

もともと原作が好きだった。

その原作の味を活かして、演出と音楽で骨太になった姿のアニメだった。

最後はアレだったけど。

 

まぁ、監督が庵野監督だったこともあるだろう。

ただ、当時の私は『ヱヴァンゲリヲン』を一度も観たことのない状態で、『彼氏彼女の事情』のアニメから庵野作品を観たので監督やスタッフのことは知らなかった。その情報が無くても、「アニメでこんなに良い変わり方があるのか」と衝撃だったのは、やはり庵野監督の手腕なのだろうと思う。

 

彼氏彼女の事情』は少女漫画にしては、泥臭いというのだろうか。学生時代の選民意識や優越感、競争心、嫉妬がなかなかはっきり描かれている。アニメではそれをややコミカルにも、薄暗くも演出されていた。

私はもともと、「プライドの高い人物が圧倒的な力を見て、負けて、努力する」展開が好きだ。

少年漫画とかにもよくありそうだ。

その、負けた時が惨めで、悲壮感があればあるほどいい。

 

『負けた』と感じるのは、それまで負けた側が自信をつけられるほど努力した証でもある。

 

私だったら「世の中そんな人ばっかりだからね〜私が無理しなくてもいいじゃーん」という、戦う意識はゼロなうえに、戦ったこともない癖に負け犬根性だけはしっかりある。

 

自分に無い輝きや熱を見るのが、楽しいのだろう。

 

最近は、すっかりぬるい日常系漫画ばかり読むことが増えたが、そういう場面が序盤にある物語も読んでいきたい。

アニメで見始めた『やがて君になる』の佐伯先輩には、負けを認めたシーンがあった。負けたとともに、憧憬が発生した上で、努力を惜しまずライバルを支えようとする姿はとても健気だ。

お嬢様らしい強さも好きだ。

 

佐伯先輩には今後も頑張って欲しい…。

 

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覚えてないだけ。

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私がまだ10〜20代のころ、30歳くらいのバイト先の人や従兄弟たちは

「20代はあっという間だから!」

と口を揃えて言ってきた。

 

世間的にもよく見聞きするフレーズだ。

20代はあっという間だから、と、『無駄なことはするな』『やりたいことは全部やったほうがいい』『時間を大切にして』などなど、集めてみると不整合で支離滅裂ながら、とりあえず他人を追い立てて焦らせようとするワードを連ねる。

 

私は今31歳だ。

20歳になる直前に一人暮らしを始めた。数値的に成人して尚、両親を尊敬していないくせに、両親の財産のもとでのうのうと生きるのは恥ずかしいことだと思ったからだ。尊敬していたなら、のうのうと膝の上で甘えていても良いと思う。

私の20代は一人暮らしの20代だった。

 

どんなに思い返しても、10年はきっちり、ちゃんと『10年』だった。

誰にも平等に与えられる時間の単位で、1年の10倍。

 

31歳になっても、未だに10代20代の人に『あっという間』だなんて嘘は言えない。

 

私は10年の中で

 

友達がいなかったり、

友達がいたり、

大学を卒業し就職したり、

気が狂いかけたり、上司の金でラム肉を食べたり、別の上司に暴言を浴びせたり、

彼氏ができたりできなかったり、

10日間だけニートだったり、日雇い労働になったり、転職したり、アルバイトしたり、

行ったことがなかったところに行ったり、初めてライブの楽しさを知ったり、

友達が増えたり、

また転職して好きな仕事に就いた。

 

これらが『あっという間』だとは思わない。普通に、平等に与えられた時間の中で過ごした。

 

どうして『あっという間』という人の10年は、20代のそこだけ短いのだろう。

 

10歳から20歳までの10年は?

どうせ覚えてねーとか宣うだけだろ?

 

20代があっという間なら、きっとその人たちの30代も40代もその先も、きっとあっという間なのだ。

全部同じ10年だもの。

 

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くつ下用カイロ

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貼らないタイプのカイロがある。

貼るタイプが画期的な発明だったとも言えるため、「全時代的」「携帯カイロがある」などと、私は『不要』と思っていた。

 

そもそも私は、寒さに強い。

落ち着きがなく、常に動き回っているからか、無神経なのか、たぶんどちらかだ。

そのため、貼るカイロさえあまり使わない。

 

ただ、貼らないカイロを必要とする人の意見を聞いたら、納得できるものがあった。

指先を暖めるために欲しいのだ。

 

指先が寒さでかじかんでしまうと、細かな作業に支障が生じる。

ただ、仕事中だと、わざわざポケットから出したり、置いたりするのは煩わしいという難点もある。

 

私は今日も閃いたのだ。

 

くつ下用カイロを、ポケットの中に貼る。

ポケットの内側の、足側ではなく、外側の布に貼るのだ。

ポケット中に手を突っ込まずとも、外側をさっと触れば、『気をつけ』の姿勢で冷えた指先も暖をとれる。

しかも、くつ下用のカイロは通常のカイロと比較すると、やや温度が高くなるように出来ているらしいので、ポケットの上から触るくらいがちょうどいい。

 

しかし、これも2点、マイナス面があった。

・高温になるためか、小さいためか、普通のカイロより持続時間が短い

・うっかりポケットの内側の、足側に貼るとめちゃくちゃ熱くなる(太もも付近は皮膚が薄いので要注意)

 

マイナス面は、やってみないとわからないことだったので、新しい知見になった。

 

不都合や、「こうなったらいいのに」は、新しい閃きがあるから楽しい。

私は無神経なので気づかないことが多い。他の人が言ってくれてたりすると、とても助かるのだ。

 

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博愛主義

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自ら悟りを拓いてしまった。

 

土曜日まで、31歳というほどほどにいい加減いい歳の私は、『恋愛というカテゴリでしあわせになりたい』と思っていた。それは、女なら割と誰にでも当てはまる考えではないだろうか。

女はなんでも恋話にするのが好きだ。

 

しかし、土曜日に、たくさんの穏やかで幸せな顔の人たちを見て思った。

ウェディングプランで有名な、都内の某ホテルに行ったのだ。

そこには、花嫁、花婿、招待客、親族、さらには、近々予定しているウェディングプランの相談に来ている人たちなど、みんな希望と幸せに満ちた顔で、ゆったりと寛いでいた。

 

それを見て、flyingspaceshipはわかったのだ。

世の中の幸せ指数を保つために、今私が辛い思いして不幸な顔しなくてよくね?

わざわざ苦労して、なにかと不幸リスクの多い『恋愛のカテゴリ』で幸せになろうとしなくてもよくね?

 

気付いてしまったのだ。

 

こんなにたくさんの人が幸せそうにしているなら、それでよいのだ。

 

だってflyingspaceshipは、みんな平等にすきだ。

 

私が苦しむのがわかってることに足を突っ込んで、不幸そうな顔するのやめよう。

本当はもっとたくさん幸せな人がいるのに、そんな世の中で私だけが不貞腐れてしまうようなこと、もう、しなくてよいのだ。

 

みんなすきなのだから、わざわざ苦しんだり、辛くなったりする方向目指さなくてもよいのだ。

 

目覚めてしまった。

 

完全にやばいなにかにハマったみたいな文章だ。

やばいかもしれないが、私はみんながすきだ。それで幸せになってしまったのだ。

 

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お粥にラー油に梅干し

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20代の半分くらいを、ほぼ自炊することなく暮らしていた。

365日、仕事の日の2食はコンビニ、休みの日の1食は外食、というリズムは5年間あった。

 

その5年間、夜は家で自炊をしたくないがために、コンビニに寄る。

しかし、朝昼とコンビニのものを食べていると、夜の品揃えを見ても『食べたい』という意欲が湧かないのだ。

食べたいものが無いし、かといって、自炊もできない。

そして「食べない」という選択がベストになり、1日2食以下となる。

 

自炊ができない、というのは、ほとんどやったことがないため、自分が食べたいものが材料さえも思い浮かばないのだ。例え材料を思い浮かべても、調理の方法やどのくらい手間と時間がかかるかさえわからない。

というか、そこまで思考する体力もほとんど無かったような気もする。

 

朝も昼も、ほぼ機械的に口に食べ物を入れていた。

そのため、「安価」「低糖質」「ゴミが少ない」という条件だけで選び、30度を超える真夏日に熱々のおでんを食べ、上司に怪訝な顔をされることもあった。

 

しかし、先月あたりからおかゆを作り始めて、非常に健康的なような自炊が出来ている。

10月の良い日に、コシヒカリを1合頂いて、そのお米からおかゆを始めた。

スーパーでは300g程度の少量の生米の販売もあり、数種類試した。

スーパーで買う米はゆめぴりかをよく使っているが、やっぱりコシヒカリは米の甘さがあって美味しかった。

 

塩と白だしで味付けしているが、ゆめぴりかは白だし多めで、コシヒカリは塩も白だしも少量で同量で、味のバランスが良かった。

主に肉を茹でた茹で汁で作っている。鶏胸肉から出たスープは、疲労回復にいいらしい。

 

そのうち飽きるかもしれないが、飽きるまでは、桃屋の辛そうで辛くない少し辛いラー油と、梅干しでシンプルに食べていく。

卵はまだやってないので、卵もそのうちやりたいし、『魔女の宅急便』のミルク粥も気になっている。

 

また食べ物のブームはあるだろう。

私は気に入ると飽きるまでそればっかり食べるタイプなのだ。

20代でコンビニを網羅したから、たまたま今自炊をしているだけで、またコンビニだらけにもなるかもしれない。

先のことはわからないので、好きなものを快適に食べる。

食べ物は、有難いものなので。

 

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幸せ充満空間

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いろんな知らない人が、一様に幸せな顔をして過ごしている場所に行った。

みんな、穏やかに笑顔で、ゆったりして、豊かな雰囲気だった。

私も幸せで、豊かな気持ちになった。

 

実際や日々のことがどうであろうと、もうよくない?と思った。

 

たまにこういう幸せの空間に立ち寄って、いろんな知らない人の、みんなの幸せな顔と雰囲気を感じて、自分もそれに倣えばいいじゃない。

こんなに、明日にも明後日にも、一年後にも、希望を持ってやってくる人、今日が特別な人、今日からが楽しみな人がたくさんいるんなら、いいんじゃない?

 

私が日々で敢えて厭なことや、やりたくないことに頑張らなくていいんじゃない?

 

だって世の中には、ちゃんと幸せになれる人もいて、幸せに充満した空間があるんだよ?

 

世の中は殺伐とはしていない。

ちゃんと幸せな場所がある。

 

たまにその幸せのミストみたいなものを浴びに行って、いっしょに豊かさを眺めてくれば、それでいいんじゃない?

 

もういいんじゃない?

 

努力するのはいいことだけど、幸せになりたいって言って、嫌な気持ちになるとか、辛い気持ちになるってすごい矛盾してるし、非効率だなと思った。

 

また幸せのミストを浴びに行こう。

そのために、嫌な気持ちにならずに、まじめに生きていればそれでいいやと思った。

 

攻撃力が15下がった気持ちだ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。