名探偵について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
幼稚園児の頃に観ていたアニメは、例に漏れず『セーラームーン』だったと思う。
その前は『サリーちゃん』も観ていた記憶がある。どちらかというと、『サリーちゃん』のほうがハマっていた気がする。
『セーラームーン』は観ている友達があまりにも多いこともあり、やや義務感というか、大人も、これさえ観せとけ、的な空気だったように、子供ながら感じていなくはなかった。
姉は『りぼん』を買い、私が『なかよし』を買うようになっていた。姉の命令だ。しかし、特に不満はなかった。
漫画を読むのは好きだったし、当時は漫画の黄金時代だ。
『りぼん』『なかよし』だけで純粋培養された私は、今思えば少女漫画が世界の全てに近かったのではないだろうか。その頃の脳内はさぞ、色とりどりのお花畑だっただろう。
だが、幼女はそのくらいがちょうどいい。
ただ、そういう感性に水を差しまくる無神経な父親のせいで、どこかで醒めたままの幼女時代を過ごしていた可能性もある。
『セーラームーン』とセットで観ていたのは、『ドラゴンボール』だった。
小学生になるまでは、『ドラゴンボール』だけが、私と少年漫画の関わりだった。
私が小学校に入って間も無く、姉が友達から借りてきたらしい漫画を読んでいた。
それが、『名探偵コナン』だった。
基本的に姉のものを触ることは厳禁だったので、特に中を見ることもなく、「なんかホラーみたいな薄気味悪いもの読んでるな」という感想しかなかった。
その後しばらくしてから、『名探偵コナン』のアニメの予告がテレビで流れた。
その予告を観た時点で、蘭は長髪の喧嘩の強い少年だと思っていた。用心棒的な少年と頭脳明晰な男児のバディだと思っていたのだ。
『ドラゴンボール』の少年漫画イメージの植え付けが強かったのかもしれない。ヤムチャと小さい悟空みたいな。
完全に内容を勘違いしていたが、『これは好きな話だ』という直感と、『姉が借りてきた漫画だ』という記憶が一致し、たぶん1巻から買ったのは私の方だったと思う。
しかも、その前後にはテレビドラマの『金田一少年の事件簿』も始まり、完全に『名探偵』という流行りにはまり込んでいた。
今の30歳前後はそういう人が、比較的多いのではないだろうか。だから謎解きイベントとか、造っている人とかハマっている人がいるんだと思う。
この『謎解きが好き』という感性は、のちに私がインターネット生活に浸かる原因にもなる。
ジャンルにかかわらず、『名探偵○○』が溢れかえっていたと思う。
すごくマイナーで、私の周りに覚えている人がほとんどいないのだが、『名探偵保健室のオバさん』は好きだった。
テレビ朝日、『ぼくたちのドラマシリーズ』で放送していた。
松雪泰子が保健室の先生で、三宅健が生徒だ。松雪泰子も三宅健も、今も美しく可愛い。
松雪泰子の女王様ぽい先生と、三宅健の頑張り屋さんで可愛い使いっ走り、という感じだったと思う。もう一度観たい。
松雪泰子の演じる、素直でワガママでイタズラ好きで、ときどき繊細な少女の面を残した女王様はとても好きだ。
てゆか、松雪泰子が保健室の先生って…。今でもやって欲しい。
しかし、シャーロック・ホームズについて、私はあまり魅力に感じなかった。読んだ物の日本語訳が悪いだけかもしれないが、私個人が『女王様気取り』は良くても、『王様気取り』は許せないようだ。
数年前に流行った海外ドラマの『シャーロック』は、ハマった友人が非常に楽しそうだったので観てみた。
推理ドラマとしての弱点が克服されていて、スピード感もアクション要素もあり、キャラクターも個性がはっきりしていた。はまり込む人がいるのもわかる。だが、残念ながら私の琴線には触れなかった。
『王様気取り』に理解がないのが私なのだろう。
ただ、『王様気取り』は好みでないのに、『王子様気取り』はとても好きだ。
王子といえば、及川光博だ。
『ミステリー民俗学者 八雲樹』だ。
その及川光博が探偵ポジションとなる作品もまた、私の好みを突いていた。
原作が青年漫画誌だったためか、容赦なく裸体の女性が王子・ミッチーに絡む。
ただ、見た目はどう見ても王子・ミッチーなのに、役柄が正反対なのだ。
ズルズルの伸びた袖にダボダボのフーデッドコート、半端な丈のボトムに白ソックスでしかもオドオド喋る演技をする、及川光博。『Kawaii』の完全体だ。
バディは平山あやだ。最高。すきだ。
及川光博氏の王子じゃない服装が、特に私にとって最高だった。
その後も『DEATHNOTE』のLや『相棒』杉下右京、『秘密』の薪剛など、さまざまな『名探偵』がフィクション作品で生まれている。
今もそのジャンルは、どこかしら活発であると思う。
今現在連載中のもので、私が追っている謎解き系は『応天の門』だ。
菅原道真と在原業平がバディだ。道真の横柄な態度はあるが、『王様』とは少し違う。業平と年の差が大きいせいか、『お坊ちゃん』らしさになるからだ。
平安時代くらいになると、史実なんてあっても無いくらいだから楽しめる。
そういえば、『なんて素敵にジャパネスク』も謎解き系平安時代モノだ。
これらを楽しんでいる間も、ずっと楽しく読んでいたのは『名探偵コナン』だった。
謎解きパートが次巻になる時は、脳味噌のほとんどの時間を犯人当てに費やしていたくらいだ。
絵をかくことに関しても、大きく影響を受けている。漫画をかく練習がしたくて、単行本1冊分くらいを写したこともある。本当に、時間を無駄に使えるだけ、使いたい放題だった。
しかし、62巻以降、私はコナンを1冊も読んでいない。ネットから情報が流れてくるので、おおまかな展開だけ知っているくらいだ。
以下はネタバレになるので、嫌な人はとばして欲しい。
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62巻の真相に使われたトリックにあたるものが、『整形』だったことに絶望したのだ。
ミステリーのタブーではないのか!?と、私は目を疑った。
冷静に考えるとそれは、私という読み手個人の価値観でしかない。そう理解はできるようになったが、そこで、もうすっかり熱が冷めたのだ。もう取り戻せない。
それ以前から、犯罪の動機が軽すぎるとか、ほとんどご近所トラブルのような事件ばかりで、早く本筋進めてくれないかな、と思うこともあった。
少年探偵団、必要??とか。
62巻で、もうそれも全部見なきゃいいや、になった。
完結したら読もうと思ってる。イモトに言わせればネットで叩かれるべき人種だ。
ただ、25年以上も続いていれば作品にとって、私は旧人種なのだ。
最近、電車で6〜7歳くらいの子供が『名探偵コナン』の3巻を読んでいるのを見かけた。
そうやって新規層が獲得されていけば、作品にとってそっちのほうが良いに決まっている。
『こち亀』だって、今から1巻から読んで車の形が違ったり、警官の制服が違ったり、信号の形が違うことを楽しんで読むことができる。
コナンも、公衆電話や携帯ファックス、携帯電話の形を楽しんで読むものなのかもしれない。今、全部かまぼこ板みたいなスマートフォンでできちゃうから、我々は未来に生きてる。
謎解きだけでない、楽しみ方を、改めて頭を柔らかくして見つけ出すべきかもしれない。
本日も読んでいただきありがとうございます。
愛しています。