天才について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは気になるもの、考えたことを、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
いつも、天才が気になる。
天才になってみたいのとは違う。
天才の脳を通して見た世界が気になる。
3次元でよく聞くのは『○○の天才』というジャンルを限定した天才だ。
私が気になる天才は、限定されない、なにをさせても他人を追い越して、想像を超える存在だ。
3次元ではなかなか見られることはない。
もしくは存在が貴重過ぎてお目にかかれるものではないのかもしれない。
flyingspaceshipはそんな何者も追いつけない天才が出てくる小説や漫画、映画が好きだ。
漫画なら『DEATH NOTE』、『秘密』だ。
小説と映画なら『ガリレオ』シリーズと『脳男』が好きだ。
漫画も映画もおすすめだが、「天才の脳を通して見た世界」を体感しやすいのは小説だと思う。
『脳男』が特に良い。
『脳男』は続編もあるが、続編では脳男は、あくまで裏で糸を引きながら待ち構えているトラップのような存在だった。
小説を読んだうえで映画を観て、私が特に印象的だった場面がある。
大量にサイコロが入った箱を脳男の前でひっくり返す。
サイコロはバラバラに散らばったり、重なり山を作ったりする。
『今、この箱から出てきたサイコロの数は?』と訊くと、脳男は即座に正確な数を応えられる、というエピソードだ。
ちなみにサイコロだったか、ボールだったか、角砂糖だったかは曖昧だ。
なぜだ?なぜ正確な数を把握できるのだろう。
当然、他にもさまざまな天才エピソードはあるが、私はこれが一番気になるし、仕組みが知りたいと考えている。
考えられる仕組みとしては、ひとつ目のサイコロが箱から飛び出した瞬間からそのサイコロの面積、体積を正確に把握できるということだ。
車幅感覚のようなものだろうか。
サイコロがランダムに重なり合っていても、それさえ把握していれば個数はわかる。
では散り散りになったサイコロは、落ちていく瞬間を目視ですべて捉えるということだろうか。
確かに目視ですべて捉えることができればそれは可能なのかもしれない。
逆に、普通の人間である我々はなぜそれができないのか。
脳男の最大の特徴は、記憶の取捨選択が『できない』ことと、因果関係が『わからない』ことだ。
取捨選択することができないから、サイコロの正確な体積が脳に刻まれ、因果関係がわからないから、見て覚えたままのサイコロの数がわかる。
普通は記憶の処理容量と速度に合わせて、必要と不必要に分けることで、蓄積が行われる。
サイコロが箱からこぼれたのは、ひっくり返したからだ。
ひっくり返した箱にサイコロをもとに戻しながら数えればいい。
ただ、これも文章にしてみるとかなり雑だ。
天才的な頭脳を持つからこそ、通常と同じ動きが『できない』場合の天才でしかない。
『ガリレオ』シリーズの湯川先生なら、どんな知識でこれを解明、解説するだろうか。
また、どんな方法でサイコロの数を答えるのだろうか。
目で見たものすべてを処理し理解するには、記憶は大きな要素になる。
天才が見る世界は明るく澄んでいる、と表現されることもある。
私もそんな世界を見てみたい。
だから、まずは小説や漫画の中の天才を考える。
作られた天才はどんな考え方で、どんな見え方ができるのだろうか。
いつか私も天才を作ってみたい。
flyingspaceshipは歩いているとき、電車に乗るとき、一人でいるとき、こんなことをいつも考えているので、電気代を払い忘れ、忘れ物を頻繁にし、酷いと食事を忘れることもときどきある。
まずは日常生活ができる脳を手に入れたい。
ちなみに『脳男』は映画だと主題歌はキングクリムゾンだ。
この音楽はかっこよくて好きなのだが、いかんせんジャケットが怖すぎてまだ購入どころかレンタルもできていないのが残念だ。
読んでいただきありがとうございます。
愛しています。