宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

毎日ふざけてても真面目だと思われる

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらのはてなブログでは考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

flyingspaceshipは小中高と、教師や父兄の評判が上々だった。

大学でのことはわからない。友達が2人しかできなかったからだ。

 

小学生時代は、ガチガチでいかにもな学級委員的スタイルで、やや支配者的な手法も見られたが、かなり真面目にやっていた。

中学生では、授業中めちゃくちゃ寝てたり、成績は良くはなかったが、ひとりでも朝練を黙々とこなし、部活の部長をやっていたり、部活の結果も悪くなかったので、程々に目を瞑られていた。

高校生の頃は、部活にも入らず、赤茶短髪で、友達10人くらいで昼休みに中庭で『かごめかごめ』やバドミントンをして毎日を過ごしていた。成績はかなり良かった。

 

私が通っていた高校は、かなりのびのびとした校風だった。

同学年には、アウトローな見た目のアフロヘアやリーゼントヘアの男子生徒がいたり、半数はギャルの女子生徒が占めていたが、基本的に先生の言うことを素直に聞き、「ごめんなさい」と「ありがとう」が言える優秀な集団だった。

オタクと非オタクもかなり自然な交流があり、いかにもなオタク男子が黒板にガンダムを描いていたら、野球部やサッカー部が描き方を教わっている、という光景もあった。

 

私ものびのびと暮らしていて、『かごめかごめ』のラストで、真ん中の子だけを中庭に残し、まわりの関係ない生徒も全員そこから消える、という施策をしてみたり、バドミントン中に死角から羽を増やして混乱させる、学期末最後の試験が終わった時にケンタッキーを注文する、などの企画をこなした。

ケンタッキーの時は、「今回だけ見逃すから、汚さないように」とだけ注意された。

 

勉強に関しても、基本的に真面目にアホなので質問するが、「どこがわからないの?」と言われると「基本的に全部なので、大事なところだけ教えて」という具合だった。

 

教師陣からすると、私はめんどくさい生徒だったと思うが、なにかと評判は良かった。

「本当に本当は真面目なのはわかっているから」とか「周りの子引っ張っていけるよね」などと声をかけられた。

一番不本意だったのは、中庭で10人くらいで組体操をしてめちゃくちゃふざけていたとき、担任教師に「まぁ、無理せず、頑張りすぎるなよ」だった。

なんなんだ。

 

確かにタバコ吸ったり、遅刻したり、暴力はふるっていない。

ただ、なにをしていても、『真面目』と言われるのはそれなりに不可解だった。

 

1度だけ、こういうところが原因かな、と思ったエピソードはある。

学校で、自分が飲んで空になったペットボトルを洗っていた。すると友人が来て、

「いつも洗ってるの?」

「そうだね。洗ってから捨てるね」

「捨てるんだから、そのまま捨てればいいのに」

「(掃除の時間)ゴミ捨ての時、中身出てきたら困るじゃん」 

「でも、ほとんどの人がそのまま捨ててるから、意味無いじゃん」

「こういうのはそういう問題じゃないんだよ。ひとりひとりの心がけなんだよ」

 

とんでもなく真面目に答えていた。

私は今でも、自分がやっていることに意味が無いとは思いたくない節があるため、その時もそうだったというだけだ。

 

すると、ほのぼのした高校の中でも厳しいと有名な英語の先生が、通りがかりにこちらを見ていた。

 

友人が「ひぇ、○○先生めっちゃ見てる」と言ったら、その先生は無言で私の顔を見て、ニヤリと笑って頷いた。

たぶん私の株が爆上がりの瞬間だった。

 

しかしながら、株が勝手に上げられるということは、期待値が高いために勝手に失望されやすいとも言える。

その時も、『これで英語の成績落とせないな』と私は打算的だった。

 

悪いイメージから『当たり前の態度』を取るだけで評価が上がる方が楽だと思う。

それを、中学校にいた不良グループを見て知った。

だから高校では毎日ふざけていたのだ。

そのため、高校の友人の母に挨拶しただけで、毎日友人から私のふざけたエピソードを聞かされていた友人母は「真面目な良い子じゃない」と評価したという。

 

根が真面目で、見た目が地味な奴に対して、世間の評価は不平等で、自身にとって損だ。

学生時代は周りの目や、世間の評価に対して非常に敏感で繊細だった。

 

評価されている、ということは同時に能力が試される。

それを思い知るのが、社会人だ。

『自分と等身大の自分』を、いつも比較して隙間に入り込んでいくしか、苦しまずに生きる方法は無い。

 

うまく生きていきたいだけなのに、真面目な自分が自分を追い詰めるなんて、

やはりこの世はポイズンだ。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。