宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

筋トレについて

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

筋トレなんかやってない。

 

筋トレをする時間が在るとか無いとかは別問題だ。

筋トレをする元気が無いのだ。

 

筋トレ自体、することに体力が要ることではないと認識はしている。

スロートレーニングとかスローストレッチなどの言葉もある。

別に汗だくになるまで筋トレをしようとなんて、まったく思っていない。

それでも、筋トレをするほどの元気が無いのだ。

 

そう。元気があれば確かになんでもできる。

つまりは、元気が無ければなにもできない。

 

しかも、私はせっかちの結果至上主義者だ。

かの斎藤一と同じく、『悪即斬』の信念のもとコンクリートロードを歩いている。

『スロー』だの『ゆる』だのやっている間に、『悪』は育つスピードを緩めない。

どうせやるなら、確実に筋肉に効かせられる方法でやるしか考えられない。それなのに、必要な元気が無いのだ。

 

でも、筋肉を鍛えずに、だらしない『贅の肉』を、ただただ胎内で育て続けるのは嫌だ。

なぜなら、身体についたただの『贅肉』は、クソの役にも立たねえからだ。顔の造形にハンデがあるのなら殊更、輪郭を肉で埋めるのは、醜さ、自覚の無さの演出に磨きをかけるだけだ。

 

しかし、食欲を死ぬほど我慢して生きるほど、満たされない生命に価値があるのだろうか?

そこまでして肉を抑えたところで、造形は変わらないし、違う造形であったとしても『自分の好みと違う』ようだったら同じだ。

 

だが、『悪即斬』の信念に変わりはない。

『悪』の存在を許さない。

 

では元気が残っているうち、少しでも日常動作があるときしか、『即斬』の時はない。

階段を降りるとき、昇るとき、歩くとき、走るとき、どこの筋肉を、否、どこの贅肉を減らすか、を考える。

無意識で動かさない。

自分の身体を隅々まで管制しきるつもりで、考える。

話をするとき、笑うとき、歌うとき、声は筋肉を伝っているか。血を燃やしているか。

 

そんなわけで、flyingspaceshipの脳の中は会議どころじゃない。

動作ひとつひとつと意識が、常に『思考の時間』に入るため、そこで話し始めたら会議などせず、純度100の脳内がデロデロと溢れ出す。

 

昨夜は夜1時ごろに、自分の右脳と左脳の存在に気がついてしまい、それについて考え始め、

『右脳のことを今考えているが、その時はどちらの脳を優先して考えるべきだろうか』

とか

『左脳のことを右脳を優先して考える時、イメージ図を浮かべるとしたら脳の形なのか思考の内容なのか』

とか

考えていたら朝の4時になっていた。

 

贅肉以上にクソの役にも立たない時間を過ごして生きているが、可哀想な私の脳はその無駄時間でフル回転しているため、いつも賃金も多幸感も発生しない自宅では元気が無い。

 

筋トレなんかやってない。

元気が無いからだ。

筋トレをする元気が無いから、日常動作を全て頭で考えて鍛えている。

常に脳がフル回転すぎて心身ともにショートする。

 

これが21世紀の命の燃やし方だ。

 

そう思う。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。