最初で最後の2次元への恋
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
毎年盛り上がっている。
そう、『名探偵コナン』の劇場版だ。
こちらでも前に書いたが、『名探偵コナン』は62巻以降読んでいない。頭が固いので。
劇場版も、それまではわりと観に行っていたが、劇場版ならではの激しすぎるアクションシーンについていけなくなり、観なくなった。頭が固いので。
2004年の『銀翼の奇術師』までは毎年観に行っていた。2005年『水平線上の陰謀』は観ていない。最後に観たのは2006年『探偵たちの鎮魂歌』だ。
62巻は2008年発売だったそうなので、ある程度、私のオタク熱が冷めていた最中の出来事だったとも言える。
10年以上、当該作品に触れていないので、今年の劇場版でスポットを当てられている新キャラのことはほとんど知らない。
病院の待合にいる時に、たまたまテレビ版『名探偵コナン』を観る機会があり、その時はそのキャラクターがサンドイッチを美味しそうに作っていた。
顔と声の印象が違い過ぎて、余計によくわからなくなった。レタスは熱めの湯で洗って冷やせ、ということしか、記憶にない。
しかし、今年の劇場版を観たひとたちは、あのキャラに夢中だ。
私がなんだか、複雑な気持ちになったのは、私自身が『工藤新一』がものすごく好きだったからだ。
小学校1〜3年生くらいまでは、結構真剣に「こういう人がいたらいいのに」と思っていた。『名探偵コナン』を読み続けていた理由のひとつに、「工藤新一がかっこよく登場する」ことへの期待があった。
小学校3年生のときには、「輪郭が面長で工藤新一に似ている」という理由で同級生の男の子を好きになった。その子は小学生男子らしく下ネタを連発するタイプだったが、「顔の形」だけ残して私の脳内で人間性までPhotoshopされていた。
しかし、残念なことに、その後2次元のヒーローに、恋に近いほどの感情は生まれたことがない。好きなキャラくらいはいるが、恋は無い。
そうなると逆に、『工藤新一』がすごい、みたいになってしまうものだ。だから、新キャラへの世間の反応に戸惑いがあるのだろう。
というか、私が中途半端にガンダムを齧ってしまったため、アニメだと全然『名探偵コナン』の世界線に見えない、「だれか、早く殴ってやってくれ」と落ち着かなくなってしまう。いや、そもそも作者の『アソビ』でそうなったらしいので、たぶん殴られるシーンくらいはあったかもしれないが観てない。
つまり、私の固い頭の中では『名探偵コナン』でかっこいいヒーローイコール『工藤新一』から更新されていないだけなのだ。
でも、主人公だぜ?たまにしか出ないけど。
2次元への恋があると、リアルの感情へ呼び起こすなにかがあるというのは、楽しい生き方だと思う。
しかし、頭が良いひとが好きなわけでも、特別顔で選んでいるわけでも、ましてや2次元に恋していた時でさえ輪郭でしか分別していないので、おそらく、「好き」というスタートダッシュによるエネルギーが総てを担っているのだろう。
つまり、「好き」だと思ってしまったら最後、ほとんどのことは脳内Photoshopで補正されていくのだ。
生きる楽しみを、恋愛に依存するのはいささか危険すぎる。
『工藤新一』のことは思い出にして、生きる楽しみは別のことで消化すべきだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。