漢字練習帳のこども
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
小学生の頃、勉強で私が1番好きだったのは漢字練習だ。
算数はあまり出来なかった。
九九を覚えるとき、クラスで最後から2番目で合格した。クラスで1番最後だったのは、特別学級に通っていた男の子だった。その子は実際合格したかどうかわからないので、実質私がビリだ。
入学時点で『11』から先の数字の概念が無かったのだから、仕方ないといえばそうかもしれない。
漢字練習は、ひたすらノートのマスを綺麗な字で埋めれば褒められるので、楽しかった。
ノートが隅々まで使い切れるので、それも気持ちが良かった。
小学生の頃は、漢字練習帳を埋めれば埋めるほど、どんどん新しい漢字を覚えられた。
指定された複数の漢字熟語を10回ずつ繰り返してきなさい、という宿題が出ると、途中で夢中になりすぎるあまり、うっかり20回くらい繰り返してしまっていた。
繰り返し同じ作業をすることに、一切の苦を感じなかったし、書けば書くほど覚えられた。
それだけならば、九九も覚えるのは容易に思える。
実は、私はちゃんと九九を覚えていた。当時の担任教師も、私がちゃんと覚えていることを知っていた。なぜなら、口頭での解答は全部できていたのだ。
九九のテストは、一定時間内に九九すべてをテスト用紙に記入して解答することだった。
『一定時間内』という条件が落とし穴だった。
担任教師も言った。
「書くスピードがあればね」
「もっとバババッて書いて」
遂には
「汚くていいから、早く書いて」
私は、綺麗な字で紙を埋めたい。
それに、先生だって、テストで字が汚い子には減点していたじゃないか。
先生は、特別学級の生徒と並んで、いつまでも合格しない私にイラついていたのかもしれない。
しかし、当時の私に略式で素早く数字を書けるほどの応用力は無かった。
家でのうのうと漢字練習帳を埋める作業と同じスピードでしか、書く作業は出来なかったのだ。
また、九九の時だけ方針をがらりと変える先生に対して困惑していたのだ。「いつもと言っていることが違う」ということに、慣れない子供だったのだ。
頑固と言われればそうだったのかもしれない。単に、頭が混乱しやすいだけなのだが。
同じ作業を繰り返し行うことを好む性質は、不器用だと、違う方法に『切り替える』のが困難なのだ。
さすがに現在は、そこまで不器用では無いし、誰でも時と場合によって言うこともやれることも変わるのは分かっている。
脳の検査で、結果、発達障害ではないということになった私だが、「思い返してみると」という、怪しい部分は、ある。
これを、性格と言って許されるものなのか、障害と言って対策できるものなのか、まだわからない。
時々、ひどく悲しい気持ちになるときはある。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。