評価について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
『神絵師』とは、おそらく職業ではないだろう。
「ものすごい絵」を描いてネット上にアップロードしている人、もしくは、イラストレーターや漫画家のニューフェイスだったりする人の名称だと思う。
かいた絵をネット上にアップロードしていると、その『名称』を意識することもある。
特に、pixivではその存在を多数確認することができる。
flyingspaceshipがpixivを利用していたのは8年前だ。今では検索に使う程度で、積極的にアップロードすることには利用していない。
利用しなくなった理由は、社会人になって絵を描いている時間がなくなったことと、絵を描くには技術も知識も無く、上手い絵をたくさんpixivで見て、挫折したんだと今は考える。
ペンタブが無いとか、専用ソフトが無いとか、色々言い訳はしていたが、上手い人を見て腐れて挫折したのだ。
ただ、腐れる程度には、少なくとも今の私よりは、自信があったと考えられる。
今は、腐れて挫折するほど、絵に関して誰にも劣等感はない。
評価されたい、よりも、見てくれる人に見てもらえたらいいな、くらいにしか考えなくなった。
Twitterではそれができる。なにもしなくても、見てる人は見てくれていると思える。見てくれる人が楽しんでくれるものを書きたいとは思う。ウケ狙いに徹した。
これが老いなのだろうか。
「もっと評価されたい」というのは、自信が無いと生まれない欲求だ。
「評価されたい」の裏側には、「現状の評価は不当である」という不満が潜む。
それは、自分が、他人として自分を見たなら、もっと高い評価を与えた、ということだ。
子供だ。
8年前はそういう面で「子供」だったのだ。
評価は評価だ。
『たられば』で主張しても、現実は数字で現れる。
それを、絵ではなく、仕事の中で何度も繰り返してきたから評価への不満から、理解になった。
絵で挫折しても、仕事があったから良かったのだ。
今の方が、純粋に絵を描く楽しさを体験できている。
練習するのも楽しいし、見ていてくれる人の楽しみになったら嬉しい。
当分はTwitterで落ち着くだろう。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。