宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

クリスマスの思い出

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。

 

社会人になってから、クリスマス連休を休暇として過ごしたのは一度だけだ。

私はクリスマス連日、特に忙しくなる仕事が好きらしい。

 

学生の頃は、ケーキ屋さんと和食の飲食店でアルバイトをしていた。ケーキ屋は当然だが、和食の店もクリスマス前後はかなり忙しくなる。私の家は違ったが、連休に家族が集まれば外食になるものなのだ。

 

そういえば、ケーキ屋のアルバイトの最後のクリスマスイブ当日、ノロウィルスに罹った。

クソ忙しい当日2日間とも、ケーキ屋を休むことになり本当に申し訳なかったが、私のクリスマスディナーは点滴になったので許して欲しいと思った。この時、店のスタッフも家族にも誰にも感染しなかったのは不思議だが、良かったと思う。

 

和食店でのクリスマスはほとんど覚えていない。とにかく忙しかった。この時はそのまま年末年始もずっと忙しい店だったので、本当に記憶がない。ただ、アルバイト仲間同士で、「このまま塵になって消えるのかなってくらいずっと移動してた」と言い合ったのは覚えている。私たちは流れ星だったのだ。

和食店は三が日は時給が上がるので、時給が世界のすべてだった私は必ず居た。そして流れ星のように働いたのだ。

 

ちなみに、子供の頃のクリスマスはもっと覚えていない。

父母はクリスマスをやりたがらなかった。私は小さい頃から「うちはサンタが来ない家」と言い聞かせられていた。

しかし、トイザらスなどのおもちゃ屋のチラシを見つけると、幼い私は懲りずに父に直接ねだってみることもした。

私「これ、これがほしい」

父「よし、ハサミ持ってこい」

そう言って、チラシから欲しいと言った商品をハサミで切り取ってニヤニヤしながら渡してくるのだ。

クソみたいな父のエピソードだが、流石に、おもちゃを一切買い与えてくれないという訳ではなかった。昔リカちゃんの家を買ってもらったことがあるし、着せ替え人形は2体くらい持っていたし、ゲームボーイもあった。ただ、子供が欲しい時ではなく、父の気まぐれ次第だったのだ。

特にキリスト教を嫌ったわけでも、仏教を重んじているわけでもなく、我が家は父の気まぐれだけで廻っていた。

ケーキも、ホールケーキは実家で食べたことはない。アルバイト先で廃棄品のホールケーキをみんなで食べたのが、私のホールケーキの初めてだった。

クリスマスという世間の感覚を完全に無視した家だった。それはそれで宗教ぽくて気持ち悪いなと思う。世間の同調圧力に屈しろよ。

 

そんな家なので、私も帰省と言える帰省をしない。なにも無いからだ。特別なことも、当たり前のことも、なにも無い家で育ってしまったので、クリスマスは仕事で忙しいほうが精神衛生上いいのかもしれない。

 

今日はサンタさんが来る家に、ちゃんとサンタさんが来ますように。

サンタが来ない家で育った私はそう祈って眠ろう。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。