父について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
私の父は、どこをどうトリミングして人に話しても、率直に言って『おかしい』。
言っておくが、ちゃんと仕事はしていた(と思う)。出勤する姿は日々見ていた。
我が家の経済状況をひとりで支えた、大黒柱ではある。
しかし、『仕事に行く』以外のことは、なにひとつしない。
自分のことでさえ、すべて、母か姉がしていた。両手両足の無い、達磨だと、私は思っている。
まず、仕事から帰ってきたら、玄関から、シャツからズボン、靴下まで点々と脱ぎ落として、最終的にパンツ一丁でリビングの自分の定位置であぐらをかく。
そして一言、「酒くれ」だ。
帰り道ですでに酒をたらふく飲んできた様子でも、それは変わらない。たぶん、もう変えられなかったのだろう。脳が働いてないから。
ほぼ裸の状態で酒をくらい、「飯くれ」と言って出てきた飯をつまむ。
冬は、ほぼ裸になったあと、母に「服くれ」と言い、いつも同じようなズルズルした服のようなものを着て、半纏を羽織っている。
真夏は酒を飲む前に、母に「風呂は?」と聞いて、「タオルは?」と聞いて、用意されたタオルを持って風呂に向かう。
父は食べ物の好き嫌いが激しく、私は父がなにを好きでなにが嫌いかもよく知らない。
好き嫌いがそのときの気分だったのかもしれない。
そのため、父が食べたあとの皿はいつも汚かった。
私は中学生くらいの時に、それが我慢ならなかったので、父に「どれを食べるんだ?」と聞いて、野菜炒めでもなんでも具材のそれだけを菜箸でつまんで小さな皿に入れて出した。しかし、そんなことまでしてやらなければいけない異常さに気付いたのですぐにやめた。
適当に食べ散らかして満足すれば、時間によってはテレビで相撲を観てから、「布団は?」と言う。姉か母が父の布団を寝室に用意して、父は眠る。
幼い頃は私も父の布団を用意したりしたが、放棄した。馬鹿みたいだからだ。
暑ければ全裸でうろついていた。
「一緒に風呂入るか?」などと、娘にセクハラまがいの発言を繰り返していた。私は「介護資格は持ってないから」と断った。
家にいる間の父はずっとこうだった。
私の自我が芽生えたころから、私が一人暮らしを始めるまで、家にいる父は、ずっとこの繰り返しだった。
老人は成長も改善もしない、という基本の考えが出来た。成長し改善する高齢者を見ると、「素晴らしい」としか言葉が出ない。
冒頭で、
『仕事に行く』以外のことは、なにひとつしない。
と書いたが、間違いだった。
『仕事』と『外での遊び』以外のことは、なにひとつしない。
父は前触れもなく、数日帰ってこないことが度々あった。
2〜3日姿を見ないなと思って母に聞くと、「スキーだって」か「釣りだって」という答えが返ってくる。
たぶん仕事仲間か、時々家に連れてくる親戚では無いおじさんたちと遊びに行っていた。
数日して帰ってきて、自分が遊んでいる姿をビデオに撮ってもらった、とかで私たちに見せてきたことがあった。
面白いと思ってんのか?
父だけ、海外に行っていたこともあった。私がパスポートを取るまで、我が家は父以外パスポートを持っている人間はいなかった。
父の部屋がある。
拾ってきたんじゃないかとしか思えない汚い自転車を改造して、自作したと見られるエアロバイクがあり、天井や壁は同じく拾ってきたんじゃないかとしか思えない汚い木材で棚が作られていた。
天井には隙間を埋めるように、スキー板が並び、壁には釣竿や自転車のタイヤのホイール、工具を入れるような箱がいたるところにあった。じっくり見たことが無いのでこれくらいしかわからないが、もっと大量に物が散らかり、ぶら下がっていた。本棚には、『こち亀』の一桁巻が見えた。
汚い上に虫が大量にいそうなので、よほど用がない限り、私は入り口周辺30cmまでしか足を踏み入れたことがない。
あと、その部屋に入りきらなかったのかなんなのかわからないが、我が家の吹き抜けの階段には自転車がぶら下がっている。地震の時、どうしたんだろう、と思うが、私の知ったことではないので聞いてない。
ちなみに、3人いる子供たちの部屋は無い。
その分なのか、駐車場が無駄に広い。車2台が停められる。半分は中古の自家用車、半分は父のバイク2台、姉の原付と自転車2台が置いてある。
実家は、設計の段階から、なにかが『おかしい』のだ。
ちなみに、家でなにもしない父に反抗しようとしたり、誰も協力をしないと、父はその場で大の字になって、マジで眠る。そして、起きてブツクサ文句を言ったり、物を投げてくる。知能が低い動物のよくある行動だ。そういう災害がある、ということにして、姉や母がいないときは渋々私が代わりをした。
父のことを嫌いだと言うと、他人には咎められるので、最近はあまり言わないようにしている。
たしかに、嫌いと言えるほどコミュニケーションもとっていないので、『嫌い』は不適切だ。日本語は話しているが、言葉がほとんど通じないので。ただ、少なくとも『好き』だと思ったことは一度も無い。
どこのタイミングで、父を好きになればよかったんだろう。
嫌いではない。誠に不運ながら、好きになるタイミングが無かったのだ。
なぜなら父は、成長も改善もせず、変わらず歳をとっただけだから。
でも、家族だから、大丈夫だ。
言っておくが、父はちゃんと生きている。たぶん身体は良くはないだろうが、たぶん病気とかは無いだろう。知らないけど、言われないから、そういうことにしておく。
ただ、数年前に会ったときに知ったのだが、私のアトピーは父譲りだそうだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。