宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

ライブについて

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

好きなものを私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

私のウォークマンにはaikoミスチルは勿論、SMAP福山雅治など歴戦のアーティストが名を連ねている。

しかし、一度もライブを見に行きたいと思ったことが無い。根暗だからだ。

 

しかし、『JOHNNYPARK』を知ってからは、今までの人生で生まれたことのない「ライブで観たい欲」が最高潮に高まっていた。

 

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JOHNNYPARKは2017年7月16日にミニアルバムを発売した。

 

同日は『レコ発ライブ(イベント)』となった。この業界用語自体、私には初耳であった。

 

今はミニアルバム『煩悩ドキュメント』は通販でも購入可能だが、当日はライブに行かなければ購入できない。

 

なんてお得なんだ。

ライブに行くのに尻込みしてる根暗野郎にはうってつけだ。

 

根暗文化系コミュ障にとって、ライブに行く理由を作ることからがスタートになる。

 

ライブは音楽のリズムをその場で体で察知できて、なおかつ赤の他人と近距離であることを厭わない人間が集まる。

 

黙ってじっとして耐えていればそれが正解の公共交通機関とは違う。

私の知る範囲に限り、私は場違いなのだ。

 

大学生くらいになった頃はさすがに価値観が広がったが、高校生くらいまでの私はライブに行く同級生は全員『やや不良』だ。

 

この『やや不良』というのは、分け隔てなく誰とも仲が良くトラブルを起こしたりはしないが、未成年にも関わらず酒やタバコに抵抗がなかったりする人種だ。

 

しかも、どんな同級生にも親切だったり仲が良いので授業をたまに無断欠席していても、軽快な調子でノートを借りたり勉強を教えてもらうこともできて、要領が良い。

 

ともすれば大学受験期の直前から猛勉強し始め、有名大学に合格していたりする。

 

深入りしようものならこちらの精神が疲弊してしまうので、嫉妬を通り越してとにかく絶対に関わりたくないタイプだ。

 

ここまでいうとほとんど行く理由が無ければ、そもそも場違いだ。

その『行きたくない理由』となる彼らの存在を大いに覆す理由が必要だった。

 

それがJOHNNYPARKのCDだ。

行けば欲しいもの(CD)が手に入る。

 

ライブに行って本当に嫌だったら、手に入れたCDを大切に聴いて、二度と『ライブ』には近付かず、日々を過ごせばいいだけだ。

それにしてもメリットがでかすぎる。

 

7月16日、私flyingspaceshipは新宿の街を全力で駆け抜けていた。

事前に道順を確認していたため、なんの問題もなく最短ルートを選択して向かった。

 

すでにJOHNNYPARKの番がやってきていた。

それを悔しいと思う間も無く、「始まっている」ということしか私の頭には占められていなかった。

 

『始まっている』

 

『始まっている』

 

 

そのライブハウスでは、私は完全に『新規客』だ。

しかも新宿のライブハウスだ。運営は本当にカタギだろうか。

 

ライブ自体、客としてどう振る舞えばマナーに沿うのかを考えながら、視界の真ん中にはJOHNNYPARK、視界の端に写る会場のすべてを観察した。

 

根暗文化系コミュ障が生き残るには、全身の神経を張り巡らせ空気を読むほかない。

 

みんな身体が覚えているのか、しっかりと腕や体を振り、ライブ会場の同士とともにJOHNNYPARKを嗜んでいる。

 

うらやましい。

 

Twitterで誰かが言っていた。

JOHNNYPARKは『ライブが上手い』。

新規客、既存客、無関心もすべてJOHNNYPARKとともにあろうとするのだ。

 

いつのまにか、私もぎこちないながらも、小さく手を振り、飛び跳ねていた。

 

『ライブ会場の楽しみ方』を見えもしない空気から血眼になって学ぼうとしていた私だが、彼らの前では意味がなかったのだ。

 

楽しいことや楽しいときは、1人よりみんなで楽しむのが最上級に楽しい。

 

思考も行動もすべて内向きに深みにはまる私に、身をもって学ばせてくれた。

 

ふと、あくまで想像と妄想の範囲だが、無理やりでもライブの演者の気持ちになってみる。

すべてともにあろうとする、それは当然なのかもしれない。

楽しくなさそうな相手に向かって演じるのはつらい。

一緒に楽しんでくれたらいいなと思ったら、一緒に楽しめるように促す、演じる、一所懸命にやる。

だからみんな楽しい。

 

卑屈や偏見はライブ会場の外で思い切りやろうと思った。

 

たまに舞台で本気の相手にクールなふりを見せる奴もいるが、そいつは色々考え過ぎだ。落ち着け。

 

帰り道、ひとりで余韻を楽しんで帰った。

ついさっきまでJOHNNYPARKをとらえていた視界がキラキラしていた。

歌舞伎町のホテル街で迷子になっていたので、クールな顔をしてやり過ごした。

 

それが私が初めてひとりで行って楽しめたライブだ。

 

まさかそこで、JOHNNYPARKの活動拠点の移転を知らされるとは思いもよらなかったが、頭が悪いので帰りはただ楽しく帰って、その衝撃は翌日くらいにきた。

 

なお、その日購入したのはその日発売の『煩悩ドキュメント』のみで、『とりで』が入ったCDを買い忘れていた。それがまた、次のライブに行く理由になったことに安心した。

 

さすがに1回で場違い感を完全に払拭できたと勘違いできるほどポジティブではない。

そして今でも、前回参加したライブで私はマナーに失敗していたんじゃないだろうかとのたうちまわることになっている。

 

30歳になる年でライブの楽しさがわかった。

次にJOHNNYPARKがライブをやるときまでにリズム感くらいは身につけたい。

 

楽しいことを楽しめる人間でいたい。

 

もういい加減こういうことを書かないように気を付けようと思うけど、これだけは書きたかった。

 

読んでいただきありがとうございます。

愛しています。