宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

女の子について

こんにちは。

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おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

『セブンティーン』という雑誌を読んだことがあるだろうか。

その名の通り17歳前後の健康的な女子高生たちの、ファッション、メイク、恋の話を含めたカルチャー誌だ、と私は把握している。

 

ちなみに、flyingspaceshipの初めて買ったファッション誌は『ノンノ』だ。

『ノンノ』を買ってみた当時、高校3年生だった。

なぜ『セブンティーン』に近い年齢でありながら、『セブンティーン』ではなく『ノンノ』なのか。高校生の私にとっては『セブンティーン』には有益な情報が載っているように見えなかったのだ。

 

私が考えるに、女性向けファッション誌のリアルな購入者は、その雑誌がイメージさせる年齢層より少し若いと思う。

10代の女性は少し背伸びしたいし、20代後半からは『若ぶってる』とか『若作り』とは思われたくないからだ。

従って、『セブンティーン』の読者は中学生のほうが多いのではないかと考えている。

そのため、私は適齢期に『セブンティーン』を読んでいなかったのだ。

 

ふと、その話が出た時、誰かが言った。

 

「あのくらいの歳の頃って、自分の『女』を最大限に出してたよね」

 

 

まじか。

 

まじか。

 

 

そうなのか。

 

つまりは、『自分が『女』であることが良いことであり、世間的に迎えられるものである』と。

 

そんなプレゼンはしたことがない。

自分の性別が、『なにか自分にとって有益に働くものである』と、意識できる年頃があるということだ。それが、あの瑞々しく多感な中高生時期だという。

 

かなりデリケートな話題を、また持ち出してしまった、と後悔し始めている。

 

つまりは『kawaiiは作るもの』であり、『自分にその要素がある』と自覚の上、日々工夫している時期が『女を出している』ことなのだろうと考える。

自分の20年くらいを振り返る。30年を振り返ったら、そりゃ3歳くらいのお姫様期くらいあっただろうから省略する。ほぼ自我が無い時期だし。

 

どこを探しても、能動的に『女を出す』時期が自分に見つからないことに焦った。

 

そりゃ好きな人とお付き合いできている時期は、それなりに無意識の『kawaii』くらいあると思う。あって欲しい。全部ダメになったわけだが。

 

『自分の性別を活かして』自己プロデュースする時期はどこだ。

 

記憶を探して遡って、小学校3年生の頃、家の門扉によじ登っている時を思い出した。

同じ家に暮らしていた祖母に怒鳴られたのだ。

 

『女の子なのに!そんなところに登って!』

 

なんだそれ。男だったらいいんか。

と思ったのを、強烈に覚えている。

子供の頃、大声で論理的でない理由を言う人間に対して、全部頭の中で反論していた。

それ大声で言うほどのこと?って。

クソガキだったのだ。

 

たぶん、その後も何度か、『女の子なのに』とか『女の子なんだから』とか言われて叱られることがあった。

既にネジれた性格だったクソガキの私は『女って自由じゃないんだな』と解釈した。

 

しかし、子供にとっての世の中は、やってみないとわからないことが多い。少なくとも私はそうだと思っていた。

木に登ってみないとなにがダメなのかわからないし、男の子のような服装をしてみないとなにが『女の子らしく』ないのかわからないし、学級委員もなってみないとなにが面倒なのかもわからない。

ババアの言う『女の子らしく』してみようとすると、その序盤くらいで同い年の男の子に笑われた。

結局、なにが『女の子らしい』のか誰に聞いてもはっきりわからないまま、ゆとり教育に入り、『自分らしい』自分を見つけなさいと言われ始めた。

 

いいことなんて全然無かった。

『女の子らしく』は、楽しくないことばっかりだと思った。

 

『セブンティーン』適齢期を迎える前に、一度『女である損益』を感じてしまっている。

 

まさにセブンティーンの歳の頃は、鏡に映る自分と自分の周りにいる『女の子』と、共通項がほとんど見当たらない自分が嫌だった。

理想が高かったのかもしれないが、髪型がほぼ桜木花道だったことも要因の一つと言える。

 

高校3年生の、アルバイトをきっかけに化粧を覚えようと思い、初めて買った『ノンノ』から知識をドカドカ入れ込んだ。すると、周りの女の子が嬉しそうにしてくれた時が、自分も女の子の『女の子らしさ』の仲間に入れて嬉しく思った。

雑誌のイメージさせる『女の子』と同じことをしたことで、リアルな女の子と仲良くなる幅も話題も増えた。

 

そうか。そこが、『自分が『女』であることが良いことであり、世間的に迎えられるものである』と自意識できた時だ。

 

記憶が見つかってよかった。

ただ、30歳になった今ではその知識も話題も、ある程度『できて当たり前』で、女の子と仲良くなるツールとしては非常に薄い。

自己プロデュースで『kawaiiは作れる!』と言えるほど自分が見えていないわけでもないし、他人にプレゼンできるほど、他人の目が自分に向けられていると勘違いできる純粋さも持ち合わせていない。

 

これがセブンティーンと30歳の差か。

 

立派にまっすぐネジれたと思う。

現代の女子中高生は自撮りをするのが当たり前で、オタクであってもある程度『童貞を殺す服』で『女を出す』ことにも慣れている。

自己プロデュース力もプレゼン力も、日常の一環のひとつで、みんなやっているからやっている、という程度だ。私ほど自意識過剰に考えすぎて身動きできない奴は、たぶん友達もできないだろう。

 

私も、もちろん『女を出している』女の子は好きだ。

男だったら最高に気持ちが悪い奴だったろうと思う。

せっかくなら『女だから許される』範囲は、最大限活用して生きていきたい。

 

本日も読んでいただき、ありがとうございます。

愛しています。