クリエイティブがやってくる
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしています。
「ブログ読んでるよ!最近ちょっと短いのが多いなって思ったけど!」
と友人に言われたことを気にしている。
ボリュームのある内容が作れるほどのネタはすでに消化している。
あるといえるのは、友人の「ちぃちゃん」に関してくらいだが、まとまらなくて困っている。
※「ちぃちゃん」に関しては、書くことがそこまで無いはずなのに、文ばかりが増えそうで、切り貼りで時間がかかっている。
あとは、文章力と創造性だ。
この場だったら、フィクションを連作してもいいくらいのはずだ。
1年は毎日書く目標に対して、あまりにも力不足を感じる。
実体験を文章にするにしても、私は基本的にあまり冒険しない。
昨日、偏った思想を布教していそうな、栄養が偏った体型をした中年女性に声をかけられた。そこでYESと答えてついて行って、それをネタにしても良かったかもしれないとさえ思った。
ついて行かなくても、この数行が書けたのだから、なにかしらもっとボリュームはついた。
しかし、そんな体験は虚無だ。
その女性にも偏った思想にも、偏った思想に踊らされることにも、まったく興味が無いからだ。
興味が無いことへ飛び込んでも、私の貴重な体力を消耗するだけで、たぶん偏った思想を熱を持って語られても、一切を覚えている自信がない。
実際、その女性がなにか語り出そうとしたところで私は「無理しなくていいです」と遮った。
そういう時のための事前に用意していた言葉でもなく、その時、なにも考えずにその言葉で女性を、たぶん傷付けた。
熱を持って語る人へ、「無理している」と勝手に断言しているのだから、余程無神経でなければ傷付いただろう。
しかし、思想と栄養が偏っているので既に神経といえる細やかな部分は断絶しているとも考える。そういう酷い奴だflyingspaceshipは。
クリエイティブな人間は、私から見た景色とは違う景色を見て、どこにでも飛び込んで行くのだろうか。一体、その身はいくつあるんだろうか。
それとも、凡人とは違い、その身を捨てなくても、自然体で、こなれた感じで、なんでも躱してしまうのだろうか。
友人は、私が応援しているJOHNNYPARKのメンバーのTwitterも見ているという。すると、ボーカルのすがゆうさんのTwitterについて、「クリエイティブさがわかる」と評していた。
自分がすごいと思っている人のすごさが、他の人にもちゃんと伝わる現代で良かった。
しかし、その分また、『クリエイティブ』という言葉に追い詰められはじめる。
食べるものも想像できない私に、ちゃんとクリエイティビティはあるのだろうか。いつか、やってくるだろうか、クリエイティブ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。