道具について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなものについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
私flyingspaceshipは、よく絵をかく。
物心つく前からなにかしら紙にかいていたので、趣味というか、習慣というか、習性に近いものがある。
紙に何かをかく、という動作が落ち着くと言ってもいい。
数字の11以上は就学と同時に初めて知ったくせに、文字だけは書けていたのはそのためとも言える。
学生でなくなって数年経った今でも、ほとんどの場合、カバンの中に紙とペンは入っている。紙とペンを置いていく時は意識的にそうしていて、持っているのはほぼ無意識だ。
絵をかくと言っても、写実的なものでも抽象的なものでもない。
芸術的センスは皆無なので、所謂、大人が嫌う『漫画絵』だ。
漫画絵は恥ずかしいもの、と言うのは学生時代に解っている。
必死に空気ばかり読んでいた私は、よほどのことがなければ学校生活ではそういう絵はかいていなかった。
しかし、大学生活はストレスと毒素でいっぱいになったため、卒論は漫画制作にした。
そこで悟った。
自分自身が恥ずかしいモノなのだから、これは当然の動作ではないか?と。
上手いとか下手とか、写実的だとか、センスとか本当にどうでもよくなった。
紙になにか軌跡をなぞらなければ、たまらなくなるのだ。
何日も紙とペンでなにも書いていないと、深呼吸のうち、息を吐いていないような感覚になる。
この感覚はそれなりにおかしいとは思うし、なに格好つけているんだ、と思われると自分でも思う。
それでも、自分のことが恥ずかしいと思うのなら、この恥ずかしい習性はむしろ矛盾していない、と思った。
社会人になってそれなりに時間が限られてからも、毎日とはいかなくても習慣と習性に任せて、紙に想像の線をなぞる。
その動作と手応えが好きなのかもしれない。
特にここ数年は、専ら決まったペンと紙をずっと使っている。時々変えてみたりもしたが、結局そこに戻る。
ペンは、製図用のシャープペンシルと無印良品のゲルインキボールペンだ。
製図用シャープペンシルは、実は去年買ったばかりで、その前は10歳から使っていたトンボ鉛筆製の、とにかくシンプルなものだ。近所のスーパーとかで買ったと思う。
随分前に、芯とは逆の方のキャップが割れてしまったのだが、そのまま使っていた。正直、今も使える。
ただ、さすがにスペアでももう一本持っていてもいいだろうと思い立って追加で購入したのだが、さすが製図用だけあって、非常に書きやすい。筆圧が安定するし、頭の中の通りの線がなぞれるし、紙の質感が手に伝わって、それに合わせて筆圧も修正できる。
その製図用シャープペンシルで書いた線を迷わずなぞるのに非常に相性がいいのが、無印良品のゲルインキボールペンだ。
0.5と0.38を使う。コミカルではっきりした線を引きたいときは0.5で、柔らかく脆い線を引きたいときは0.38だ。
ボールペンと違ってインクの掠れがないのがいい。滲みすぎず、シャープペンシルの線の上から書いてもしっかりと定着する。
一発書きでも気持ちよく書ける滑らかさがいい。
1本80円のため、ペンを持ってくるのを忘れたとき気軽に買ってしまい、何本かストックがある。
紙に関しては、これも無印良品で、文庫ノートをずっと使っている。
このくらいのサイズが持ち歩きにちょうど良く、休みの日の出先でも『気が付いたら書く』ができる。
なにより、罫線が入っていないことが有難い。手のひらサイズのメモ帳となると、一般的には罫線が引いてあるものがほとんどなのだ。
私の場合、絵をかくときに罫線があると、バランスを見誤るので満足いく線がかけないのだ。
『弘法筆を選ばず』と言うが、弘法大師以外はめちゃくちゃ選ぶべきだと思う。
ましてや私の場合は、『仕事』でないどころか『趣味』でもない。『習性』なのだから、自己を満足させることすら出来なければやる意味は0%だ。
とあるイベントで、ウェブライターのヨッピーさんとデイリーポータルZの林さんに直接5歳児のような強い精神で『紙とペンは持ち歩きますか?』と訊いてみた。
あの業界にとっては当然といえば当然かもしれないが、もうiPadがあれば充分だそうだ。
ただ、林さんはApple Pencilで手書きのメモを保存していた。
思いつきを思いついたその瞬間に、適当にメモしているとのことだった。そのため、後で見返すと、半分以上訳が分からないらしい。
私は『思いつき』は本当に『ナマモノ』みたいなものだと思う。訳が分からなくなるくらいのものこそ、メモもなければ二度と意識することは無くなってしまう。
ヨッピーさんもメモとはまた違う方法で、その時その時、なにか記録しているかもしれない。
私はかなり大雑把で適当な性格の為、たとえば脳が四角い部屋だったとすると、丸く掃除をしているだろう。そこで、隅に溜まったまま整理できなくなった、『思いつきみたいなモノ』を絵にして定期的に掃除しているのかもしれない。
けっこう、友人知人でもなにか作ったりしたい気持ちがある人が多い。でも、なかなかできないことで『不完全燃焼な自分』を抱えたまま、過ごしている。
まずは、紙とペンを持ち歩くだけでもやってみることをおすすめしたい。
なにか頭の中のものを、だれに見られるとかなにか言われるとか関係なく、走り書きしてみるだけでも、なにかを作りたくても作れなかった日々が報われると思う。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。