とりでについて
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしようと考えています。
2017年、なんと私flyingspaceshipは、ライブハウスに3回も行った。
3回だ。2016年と比べると300%だ。
しかも3回とも同じバンド目当てに行った。
そのバンドは『JOHNNYPARK』だ。
私と音楽の関係性は、世の中のだいたいの音楽はTSUTAYAで借りられるものだと思っていたし、CDアルバムを5枚まとめて借りてウォークマンに入れたら約1年は更新されることはない。ただ、毎日音楽を聴きながら移動したい。
1曲気に入ると1週間リピートして聴いていることもあり、それを友人に話したらその日はとても優しくされた。
とにかくJOHNNYPARKだ。
偶然が重なったことと、信頼できる知人が過去ライブに行っていて「良かったよ、オタクって感じで」と推奨コメントを残したこともあり、まずはネット上で観られる動画を漁った。
最初に観たのが『とりで』のライブ映像だ。
ここで、ギターが、ベースが、ドラムが、だのと言えたらクソ野郎だなとは思われるが「音楽にも通じている俺」演出で自己満足ができる。それができないのがflyingspaceshipだ。安心してくれ。
音も言葉も、見えて、聞こえている範囲ではすべてが私の本性が共感できた。
私が現代の女子高生だとしたら、JOHNNYPARKは私にとっての西野カナだ。
もっといい喩えがあったかもしれない。申し訳ない。怒りに震えているという人はとりあえず、そこらへんのマナーの悪いオヤジやババアを口汚く罵って発散してほしい。
flyingspaceshipは大学を4年しっかりと通い卒業したが、そこでできた友人は2人だ。
根が真面目なのと入学金がクソ高かったこともあり、ただただ大卒という資格を得ることだけを目的に毎日通っていた。
そんな大学構内を移動しているときの気持ちや、その当時家でひとりでじっとしてインターネットを徘徊していた(テレビはない)気持ちが『とりで』にあふれている。
いまだに気持ちの奥底では『コーラ、スナック菓子、パン』を買い込んで、この部屋に閉じこもり、自己を満足させるためだけに生きる時間が欲しい。
新卒で就職してから数年の休みの日はそういう生き方をしていた気もする。
この中の『全部クソだ全部くだらない』は、頭の中の口癖になっていた頃もあった。そしてマナーの悪いオヤジを口汚く罵って発散していたのかもしれない。
そんな私が一番クソだったと思う。
それが、JOHNNYPARKは音楽にのせて言葉に詰めて、かっこよく届けてくれた。
根暗でもかっこいいのは、憧れる。だってかっこよく見せたいんだもん、できるなら。
めちゃくちゃ根暗でオタクな気持ちをばっちり言葉に載せているのに、本当なら憧れの存在である「かっこよさ」がある。
flyingspaceshipはすっかりただのJOHNNYPARKのファンになった。
今では販売されているCD2枚を手に入れて、毎日聴いている。
その中でもいまだに『とりで』は特別だ。
気持ちが昂ったら『とりで』を選択する。
そしてここからがまずい領域になるのかもしれない。
かっこよさに憧れたら、やっぱり歌いたくなる。ならないか?
そもそも仕事帰りの暗い道で歌っているのがスタンダードな私だ。ならないか?
『とりで』を歌い始めている。
歌詞とリズムが難しいので、まずはリズムを耳に慣らせるためにひたすらリピートだ。
リズムが慣れてきたので、2週間前くらいにスマートフォンの「One note」というアプリに書き写した。
歌詞をしっかり見ながら歌ってみたり、覚えている分だけ歌ったり、言葉が細かいところを歌ったりしている。
その中で発見したことがある。
前述したように、『とりで』は根暗でひきこもりたい心情が暴かれている。
そのために歌詞の言葉に引き込まれ過ぎてしまうと、「独白」のような単調さ、芝居臭さが出てきてしまう。
自分の感情で歌詞を読みこんでしまうから、JOHNNYPARKにあるかっこよさが失われる。
感情を入れ込むことは悪いことではないが、「憧れのかっこよさ」はやはり音楽にある。
JOHNNYPARKを歌ってかっこよさを楽しみたいなら、まずは耳に染み込ませることから始めたのは正解だったのかもしれない。
伊坂幸太郎もいっている。深刻なことほど軽快に伝えるべきだ。
根暗だひきこもりだ全部クソだ、って気持ちの終わりは死だ。
でも、生きている軽快さ。
JOHNNYPARKに対して、生と死で話し始めているんだから完全に「まずい領域」だ。
大丈夫、わかっている。ごめん。
とにかく歌いたい。JOHNNYPARKの『とりで』をかっこよく歌えるようになりたい。
そして、ひとつの自己満足を手に入れたい。
すきなものが増えるのは決して悪いことではないと思う。
ただ、自分を見失って、相手の気持ちを見失うことだけは避けたい。
相手もまぎれもなく人間だからだ。
自分だったらそんな人間とは絶対に関わりたくない。絶対にだ。
ファンを自称する人間でやばい奴が多いのはこの考えが浸透していないからではないか。自分がされて嫌なことはしない。
長くなりましたね。私だったらこんな長文で書かれたら嫌いになるわ。
さて、その情熱を、相手に迷惑をかけずに発散する方法のひとつが歌うことだ。
カラオケに入っていないことが悔しい。
冬のボーナスが100万くらいあったら、なんとかしてDAMに入れてもらうのに。金で解決できることかどうかも知らんけど。
我こそはひきこもり、という方はぜひJOHNNYPARKの『とりで』を聴いてほしい。
そして夜道で歌ってくれ。
お前も気が狂う前に歌ってくれ。
読んでいただきありがとうございます。
愛しています。