宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

表現について

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

こちらの開設前に、はてなブログ界隈を散策してみたところ、最近のブログは『始まり』と『終わり』にそれぞれ個性を表すテンプレがあるように見えた。

 

私もそれをやりたい。

そう思って、考えに考え抜いて(30分くらい)できたのが、上の7行だ。

ただ7行は長いし、横着してブログのトップにも同文で設定しているので、今後少しずつ縮めるつもりだ。

 

悩んだのは『終わり』だ。

 

『始まり』はあいさつや説明文で良い。

しかし、『終わり』はどうしたらいいんだ?

 

文体や内容だけでなく下手すれば考え方もコロコロ変わる可能性は否定できない。

 

『すきなもの』について平和に記述するときもあれば、『きらいなもの』について持っている語彙すべてを使い果たす勢いでこきおろして終わる日もあるだろう。

または脳味噌の棚卸をするため、考えたことをつらつらと書く日もあるかもしれない。

 

そんな日和見野郎のブログで、最後まとめになるテンプレ?

 

明らかにブログ読者が存在するブロガーは『また見に来て欲しい』という意図を感じるような一文が多い。

もしくは、世界平和を祈る。読者の幸せを祈る。

 

そんな言葉を他人に向けて連ねられるほど、私flyingspaceshipは充実したリアルを過ごしてはいない。

 

たとえインターネット上に公開するものだとしても、この文章を打ち込んでいるのはリアルなflyingspaceshipだ。

どう考えたってブログを我慢しつつも温かい目で読んでくれた他人のほうが、リアルな生活でも徳が高いに決まっている。

 

flyingspaceshipに祈られるような幸せ程度はお呼びでないだろう。

 

しかし、最後の文まで読むような人間はなにか徳を積む修業中の身か、flyingspaceshipの脳の中を見てみたいと思っている異端者だ。

そうでなければ、感謝しかない。

 

そうだ、感謝しかないのだ。

 

ではお礼は欠かせない。

『ありがとう』は好きな言葉だ。

 

たとえ無法者にガチで暴力を振るわれても、ありがとうございますうううううう!と叫びながら反撃すれば1発くらい打ち込める可能性がある。一筋の光だ。

 

ただ、それだけでは本当にブログを読んだ人に対しての感謝が伝わるだろうか?

 

実際に読んでくれた人へ、私はflyingspaceshipとしてどんな感情を持つだろうか?

 

めちゃくちゃ感謝だし、好きだ。

あ、好きだ。

 

でも、『好きです』は怖い。なんなんだお前は。ブログを見られている側のくせにストーカーか。深淵を覗いているとき、深淵もまたこちらを見ているのかよ。

 

愛情表現が難しい。それは私が昭和生まれの日本人だからだろうか。

 

なるほど、欧米人の愛情表現を参考にしよう。

映画などでみかける彼らは恋人でも家族でも友達でも、簡単になんのためらいもなく『I love you』と書く。

 

これだ。間違いない。

 

そう思って、『終わり』には愛を述べている。

 

私にとってはなんの違和感もない。

むしろ、私の『好きなもの』については全般『愛』だ。

昭和生まれの日本人なので、『好き』は言えないが、好きな対象に向かって『愛している』は言える。

 

人であろうと作品であろうと、私にとって『好きなもの』はどこまでも好きなのだ。

 

ウォークマンに入っている音楽は全部『最上級』なものが入っている。だから飽きがないし、常に好きなものに浸かっているから更新の頻度も求めない。

友人や恋人が選んだ選択肢は『私が好きになった』彼らの意思なのだから、それも踏まえて『良い』と賛同する。

消耗する愛用品が普段行くことのない街でしか手に入らなくても、そこにあるのが『正解』なのだから行ける範囲であることに安堵するだけだ。

 

『好き』と『愛情』に距離が無いのだ。

言葉で表現するには距離があるが、感覚としては同じレベルだ。



今思ったのだが『好き』と『愛情』が上か下か、量が多いか少ないかの感覚がある人間から『私と仕事(友人)どっちが大事なの?』が吐き出されているのではないだろうか。

 

そして家族間で近況を知らせるだけの手紙やメールで逐一『I love you』などと書いているから『マザー●ァッカー』などという悪態がつけるのではないだろうか。

 

愛はどこまでも人を追い詰める。用法用量は守っていきたい。

少なくともネジが外れた人間が振りかざしていい言葉ではない。

 

読んでいただきありがとうございます。

愛しています。