化粧について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは好きなものを私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
化粧品が好きだ。
そう聞くと「言うほどオタクでもない普通の女」アピールが始まったように感じるかもしれない。
だが言わせてもらうが、「オタクの男」も「オタクの女」も『只の人』だぞ?
なにを勘違いしているんだ?
『オタク』を自称したからといって自分が特別になったとでも思っているのか。
煽り耐性のウォーミングアップはここまでにしておこう。
取り扱うモノがモノなだけに少々鋭利な言葉になるかもしれない。
気を悪くさせたら申し訳ないが、理論を押し付ける気は毛頭ない。
根暗オタクの性質であり、好きなもののなかに化粧品も含まれている、という只の人がflyingspaceshipだ。
ただ、普段化粧をする習慣が無い、特に男性にとって「化粧品が好き」の一言は『クソ浪費ブランド女』か『カラコンアイプチ人工皮膚女』あたりを想像させるかもしれない。
完全に妖怪の名前だ。
または、化粧があまり好きではない、面倒だし時間がない、肌に悪いからしない、化粧しなきゃいけないほどの顔じゃない、という主張の女性にとっては『まーた化粧品業界の奴隷の説教が始まったよ』と思っているだろう。
それは否定できない。
私も20歳くらいまでは自分と化粧品は縁遠いものだと思っていた。
簡単に言うとアトピー性皮膚炎だからだ。
母親が「あんたみたいな皮膚は化粧品なんか使ったらアッと言う間に大変なことになるね」とよく脅してきていた。
18歳くらいまでその呪い言葉を鵜呑みにしていた。
ただ、自分で雑誌や本とお店に行って調べ始めて、正しい知識を仕入れた以上は、その言葉は『知識のない人のイメージだけの言葉』だとわかった。
アルバイトで接客業をしようと考えたことから、その為には他人の前に出て金銭のやりとりをするに相応しい化粧をするにはどんなものなら使えるのか、などがきっかけだったように思う。
きっかけの時点で化粧をすることは『マナーのひとつ』という捉え方をしていた。
そもそも自分の顔の造形が嫌いでなおかつ肌も美しくはないならば、『スキンケア化粧品』で正しく手入れをし、『メイクアップ化粧品』で自然な補正をすることで、「他人の目に触れても良い状態」にしたいのは当然だ。
しかしながら『化粧品は肌に悪い』という人間は、『化粧』=ファンデーション、アイシャドウなどを素肌にただ塗りたくっていくというイメージなのだろうか。
よく耳にするのが「化粧をすると皮膚呼吸ができない気がする」という言葉だ。
どんなメイクをするつもりなんだ。石膏でも塗るつもりか。もしくは30年前のファンデーションしか知らないのか。お前はいくつだ。
リアルなflyingspaceshipはここまで罵らない。相手の言葉に同意はする。そういう感覚の人間もいる、とわかってはいる。
大いに叩いてくれていい。
ただ正直なところ、20歳過ぎているのなら、手入れと補正が不十分で良いとは言えない。
ちなみに補正のひとつであるファンデーションは、日中変化する気温や湿度によって水分が蒸発したり酸化する肌を守る、という意味は少なからずある。
また、手入れが不十分な状態でファンデーションを塗って、想像するような綺麗さが手に入るわけがない。
それはもうファンデーションが悪いとか、使っているスキンケアが悪いとかいう理論ではない。皮膚理論があっての『化粧品』である。
さらに言うと『肌がきれいだから必要ない』『気になるところが無い』という自覚の人は「ただただ不安」だ。
そんな風に言われたら、他人はいつだって『そうですね』としか言えない。
正直な感想なんて言えるわけがない。前提が強すぎる。
しかしながら、素肌は20歳以降、極々わずかであっても確実に変化している。
そして、ファンデーションはあくまで補正だ。
素肌が健康的であればファンデーションは『添えるだけ』で、その人の自然な美しさを『引き出す』ものだ。
しかし、その『添えるだけ』で完成度が変わる。それに、どれほどの地道な努力が必要になるかは、『スラ●ダンク』のジャンプシュート編を読めばわかる。
ふざけてはいない。
本当に私はスキンケアからファンデーションまでの間に『ファンデーションは添えるだけ』と念じている。真剣だし、ほかに喩えがない。
あと言っておくと私の世代では『スラ●ダンク』はネタではない。真剣だ。
ふと、小学校高学年から中学生くらいのころの参観日を思い出す。
色とりどりの母親たちが教室のうしろに並ぶ。
子供がそのくらいの年になっているのだから、母親たちもだいたいが所謂ミセスの世代だ。
当時の私の素直な感想を今になって初公開する。
『ババアになったらみんなババア。それなら綺麗にしてるババアのほうが良い。』
身なりが整っていないババアに「箸は綺麗に持て」とか「足を閉じて座れ」とか言われても、お前の言うことなんか聞いてたら将来お前になっちゃうんじゃねーか?という不安から反抗心しか芽生えない。
言うまでもない。子供だろうが大人だろうが、綺麗なババアのほうが信頼度は上がる。
どうせみんなババアになったら、素顔なんてブスが原因なのかババアが原因なのかなんてわからなくなる。
マナーとして、手入れと補正くらいしておくか、をババアになって細かい手の動きができなくなって視力も悪くなった自分でも、スマートにできるようになるために、今から等身大の自分の外見くらいは、正しく把握しておいてもいいのではないかと思っている。
あと、人前でちゃんと自然に笑顔になれるためにも、マナーの化粧はしたい。
なにをもってして『良い』『悪い』を決めるのかは、結局使った本人の適性だ。
世の中のとある場所では「ほぼただの水」を『とっても肌が綺麗になるし地球にやさしい化粧水』として人々に懇々と説明し、使用者を次々に販売員にさせる手法をもって化粧品販売としているところもある。ただ、その使用者は本気で「ほぼただの水」を『良い』と思っているのだ。
そういう手法を見て、化粧品業界全体が同じようなものだというイメージを持って、敵視している人も少なからずいるのは事実だ。
こういうことから、誰かが「でもさぁ、肌に悪い化粧品もあるじゃん」って思ってそう。今まさに。
でもさぁ、お前そんなことが検証できるほど化粧品使ってなくね?
オタク的性質からか、アニメにしろファッションにしろ、自分がお金を落としていない業界を勝手に否定するのは良くない、と思う。
これが逆の人が多いのだ。
お金を落としている人ほど、失敗したとしても自分の経験や知識不足であった、と次のコンテンツへポジティブな気持ちで移行する。
私は化粧品を使うすべての人に化粧品オタクになれと言いたいわけではない。
『好きな人もいるのだから、敵視はしないで欲しい』ということだ。
私のことは嫌いでも、化粧品のことは敵視はしないでください。
今回は取扱い注意のモノを『扱ってしまった感』が拭えない。
読んでいただきありがとうございます。
愛しています。