オタクの境目について
こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
flyingsapceshipと申します。
こちらでは考えたことについて、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。
flyingspaceshipにはオタクの気質が備わっている。
「オタクだ」と言えばいいところを、こんな回りくどい言い方をしているのには大きく以下の4つの理由がある。
・アニメをほとんど観ない。
・声優を知らない。
・アイドルにはまらない。
・グッズを集めない。
逆に、オタク気質ではある、と誇りを持って言える理由は以下だ。
・絵や漫画をかく。
・漫画を買う。
・本屋巡りが休日の定番。
・Twitter常駐。
・調査癖。
見た目と話し方については言及しなくてもいいだろう。
ところで、イソップ童話は読んだことがあるだろうか。
それがイソップ童話だと認識していなくても、幼い頃一度はどこかで目にしていると思う。
そのイソップ童話のひとつに『卑怯なコウモリ』という話がある。
鳥と獣の争いにコウモリが首を突っ込んで、どちらの仲間にもハブられるという話だ。
コウモリが昼間は外出せずに、夜になってから外を飛び回るのは、そんな経緯があるからだ、という生き物の習性にファンシーな物語をネジ込んだ名作だ。
私はまさに、そのコウモリの状態といっても、過言ではない。
もちろん、どちらかの味方である、とか、どちらかのほうが優れている、とか、そういう話ではない。
どちらか一方に属していれば、それなりに『隣の芝生』なのだ。
しかし、どちらにも所属を決められない苦しみはある。
オタクであろうとなかろうと、楽しみはある。生きている今、欲張りかもしれないが、どちらも楽しくいられたらいいのだ。
しかし、その楽しみは、私のようなコウモリ野郎はひとりで体感することのほうが圧倒的に多い。
どちらかにはっきりと属することで、好きなもの、関心があるものにより、多くの人と楽しみの共有ができる。
境目が曖昧ということは自由ではあるが、どちらの仲間に紛れたつもりでも、楽しみを同じレベルで共有できるとは断言できないのだ。
しかしながら、そこでコウモリと同様に、暗い洞窟に引きこもってやろうというつもりは無い。
私がコウモリ野郎であるからといって、イソップ童話の獣や鳥たちのように爪弾きするような友人知人ではないのが救いだ。
私のオタク気質で特に目立つのが、調査癖だ。
友人知人の会話で少しでも気になると、最低限のネットで蔓延る情報をある程度目を通す。サジェストのチェックもする。
次に会うときにその話をし始めると、「え?興味なかったじゃん…なんで…?」と言われることもある。
興味がある、ないはあまり関係なく、知らないから調べるのだ。
その調査対象が、服であったり、化粧品であったり、アニメであったり、漫画であったりするだけだ。
というか、その対象そのものにハマるというより、調査作業自体を楽しんでいるのかもしれない。
flyingspaceshipには知らないことが多いからだ。
さまざまな友人から情報を得て、そこでしつこく調べているからこその『オタク気質』なのかもしれない。
知らないことが多いので、今後もありとあらゆるところに情弱のまま向かって行くのだと思う。
余談だが、絵をかけることがいちばん役に立つのは、服を選ぶときだ。
自分の持っている服に合わせたらどうなるか、イメージ図だけでもかけると、買うべきかをちゃんと判断できる。
今自分が、オタクかそうじゃないかは曖昧だが、人生はひとつだ。
好きになれそうなものは、いくら摂取しても死ぬことは無い。
興味の無いものでいっぱいの世の中と感じるより、それが二次元でも幻でも好きなものがたくさんある世の中を見ていきたい。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
愛しています。