宇宙船と砂漠で足跡

こんにちは。 こんばんは。 おはようございます。 flyingsapceshipと申します。 こちらのはてなブログでは好きなもの、きらいなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章による書置きスタイルでお送りしようと考えています。

流星堂を駆け抜けて

こんにちは。

こんばんは。

おはようございます。

flyingsapceshipと申します。

こちらでは好きなもの、気になるもの、考えたことがあれば、私ならではの少ない語彙と拙い文章で書き殴っていくスタイルでお送りしています。

 

ピーーーゴーーキュールルルルルル

という音とともに、我が家のデスクトップPCが世界と繋がった頃の話だ。

 

私が小学校を卒業し、中学生になる頃に、我が家にデスクトップPCが現れた。

なぜ現れたのか、理由は未だにわからない。

 

そんな高価なものは父親しか買わない。

しかし、父親はPCが必要な仕事も趣味も無い。実際、父親は現在PCに触れることもしていないらしいし、当時もPCで将棋くらいしかしてなかった。

PCをねだるような子供は長女の権限で、姉くらいだが、姉も首を傾げていた。

さらに当時の私は、PCは業務用みたいなもので、個人宅での必要性は特に無いと思っていた。

 

なぜか現れた。

 

私が本格的に、インターネットの波打ち際に出てきたのは中3の半ばくらいだった。

友人から面白い話を聞いたのだ。

 

『仮面舞踏会』だ。

 

同じ学年のメカオタクが、自分のサイトでチャットルームを作ったらしい。

そこで、同じ学年の人間がハンドルネームで呼び合い、チャットで遊んでいる。

そこのメンバーは、実際には普段関わりが少なそうな人間同士もいるとのことだ。

 

 

「(flyingspaceship)も来なよ。正体秘密にして」

 

 

なにそれ超楽しそう。

 

 

メカオタクの管理人のほか、メンバーは学年1の秀才などどちらかというと、インテリ系で揃っている。

そんな中、明らかに偏差値が筋肉に奪われていそうな『柔道部』の私が、初心者インターネットオタクとしてチャットルームをうろつく。

 

誘ってきた友人も、謎解きモノやクイズが好きな子だった。

不思議な奴を送り込んで、犯人当てみたいなことをしたい気持ちは、よくわかった。

 

サイトは『流星堂』。

21時過ぎくらいにチャットルームへ向かうと、ものすごい速さで文字が流れていく。会話はどんどん発展して、最初なんの話をしていたのかわからないくらい、深淵、もしくは壮大になる。

 

普段、一見関わりのない同級生たちが、楽しそうに会話を展開しているのが、なぜか嬉しかった。

 

サイトに誘ってくれた友人からヒントは貰っていたので、その中にいる同級生が誰なのか、なんとなくわかった。

不公平だと思うが、秘密にしたままだったのは、「自分」が拒絶されるのが怖かったのだ。

 

チャットルームは、チャットに参加せずに閲覧しているだけの人数を表示する。

いつまでも見ていると、チャットルームの中で『入って来なよ!』の声が高まる。

 

なにしろ、こちらはガチのPC初心者だ。

 

チャットルームの速度を見て、入るに入れなかったのだ。高速道路の合流地点に初めて来た時のような感覚だ。

 

ぎこちなくキーボードを叩き、そうっとチャットルームに参加する。

同じ学年の同級生であることくらいしか、確認はなく、全員あたたかく迎えてくれた。私を誘った友人も、自ら誘ったことは明言したが、口を噤んでいた。

 

初めの頃は、文字通り、相槌くらいしか打てなかったが、みんなの会話に参加したい気持ちでタイピング練習をし、スピードについていけるようになった。

外国語の習得も、このような感覚なのかもしれない。

 

毎日、学校や塾が終わると、家のPCをつけた。

ピーーーゴーーキュールルルルルル

受験勉強をそれぞれしているだろう時期でもあり、時間であるにも関わらず、その話はほとんどした覚えがない。

音楽やネット上のネタ、食べ物の話、妄想の話、掲示板の創作の感想など、他愛ない話で同級生と交流していた。

朝方まで夢中でキーボードを叩いていたことも、度々あった。

 

でも、誰も私のことは知らない。知らないから、話をしてくれている、という意識があった。

 

学校では、そこでのメンバーの顔を見かけると、嬉しい気持ちと同時に、正体を知られたら今までのチャットと同じ対応はしてくれないかもしれない、という不安にまみれていた。

 

 すっかり重罪を犯した犯人の気持ちだ。

 

そのうち、本格的な受験シーズンと卒業までの手続き等々で、チャットルームも人がまばらになり始めた。

 

私もいつまでいたか、はっきりとは覚えていない。

ただ、誰も、別れの言葉は言っていないと思う。

 

時々、高校生になってからも携帯から覗いてみたりもした。

管理人をはじめ、数人は残ってチャットルームにいたのを見た。

大学に行った頃には、人がいた形跡も残っていなかった。

 

おそらく、半年か数ヶ月の期間だった。

『流星堂』で駆け抜けた日々は、そののちの高校の授業や大学のレポートでのタイピングスピードになり、非常に有益な期間であったと実感できた。

 

しかし、大学の終わり頃からチャットルームの仲間の1人と、さらに社会人になって数年の頃、同級生の結婚式の二次会で、チャットルームの管理人とリアルの交流をすることになる。

2人にそれぞれ当時の話をした時は、とても驚いてくれて、『犯人』としてはとても満足できた。 

そこから、バーベキューでラムチョップを食べるという人生の幸福体験に繋がる。

 

『流星堂』は今どうなっているのかわからない。

検索しても、もう分かるところには出てこない。

そもそもチャットという文化も、LINEという文化が台頭した今、もう無いに等しい。

 

ただ、チャットのあのスピード感はLINEでは得られない。LINEはメールの代わりになっているため、用件を送ることがメインだし、そもそも相手が誰だかわからないと交換しないパーソナルツールだ。

チャットのあの、『誰だかわからないけど見てるんなら入ってこいよ!』という空間はもうどこにもない。戻ってはこない。

 

幼い頃遊んでいた公園にマンションが建つと成長してから耳にする、まさにそんな気持ちだ。

 

私は特に、今、同級生の創作文を見られる機会もない状態が寂しく感じている。

あの頃、大量に投下されていた文章はどこに行ったのか。

 

せめて彼らの中に残っていたらいい、と思う。

 

ノスタルジーに書いた。

 

本日も読んでいただきありがとうございます。

愛しています。